8月29日,30日 高野山に行きました

高野山と四国へんろ

 

 四国88カ所へんろを終えて高野山にお礼参りに行くことについては,諸説・異論があるようです。

 四国霊場会では,88番「大久保寺」を終えたらその足で高野山に訪れるのがいちばんいいとされているようです。でも,1番の「霊山寺」では,88番のあとに1番に戻り,そのあと高野山に行くように勧めています。

 ところが,高野山では四国88カ所へんろとはあまり積極的に関係を持ちたくないような雰囲気があるそうです。強いていえば,高野山をいちばんに訪れて,お大師様を連れてへんろに行くのが本筋だろうということです。だから,初めに高野山にお参りして1番からへんろを始める,というのが高野山の言い分のようです。

 

バイクでお礼参り

 

 いろいろな言い分があるのはさておいて,四国遍路を終えて10日あまり,高野山にお参りすることにしました。白装束・菅笠姿からライダージャケットに着替え,バイクで高野山に行きました。

 朝7時に家を出て,神武天皇陵・橿原神宮に着いたのが9時半でした。伊勢湾岸道,東名阪,名阪国道を快調に走り,天理市から国道24号線で橿原市に入りました。

 神武天皇陵は朝が速かったためか,誰もいませんでした。静かで落ち着いた雰囲気はたいへんよかったのですが,ちょっと寂しい気もしました。ただ,神武天皇その人も神話世界の人ですから,本人もそこにおられたかどうかわかりません。

 橿原神宮ではすっきり晴れた空をバックに絵はがきのような畝傍山が見えました。

 

藤原宮

 

 そのあと藤原宮跡にも寄りました。藤原宮あとからは大和三山がきれいに見えました。畝傍山は小さいけれどいい形をしています。耳成山もきれいな円錐形のかわいらしい山でした。天の香具山は平べったくて,あんまりいい形ではありません。なんだかがっかり,拍子抜けしました。実はどこが香具山なのか初めは通り過ぎてしまい,わからなかったぐらいです。
 藤原宮畝傍山,香具山,耳成山の真ん中に位置していました。

 

高野山は遠かった

 

 昼食は吉野家。昼過ぎは24号線を南下し,橋本まで。橋本から国道370号線で高野山に向かいました。日差しがきつく頭がクラクラ,直射日光と地面からの熱い空気で,気分が悪くなるほどでした。 
 予定通り2時に高野山に到着しましたが,さすがに245Kmのバイクツーリングはは疲れました。 

 

奥の院参道

 

 予約してあった普賢院というお寺の宿坊に荷物を置いてから,とりあえず奥の院にお参りに行きました。杉木立に囲まれた奥の院参道の両側はいろいろは人の墓地になっています。上杉謙信,武田信玄,織田信長,豊臣秀吉,市川團十郎,石田三成といった有名人のお墓がありました。パナソニックや仁丹の森下家のお墓もありました。 
 さすがに奥の院の弘法大師御廟は密教的な神秘の臭いがぷんぷんしていました。納経所では「おめでとうございます」と八十八か所回り終えたことをねぎらっていただきました。こんな一言だけでも大きな喜びです。 

 

世界遺産

 

 外国人がいっぱいいました。外国人を邪険にする気持ちは毛頭ありませんが,高野山も"観光地化"しているんだな,と実感しました。本来修行道場であるところだと思うのですが,京都や奈良の有名観光地,清水や金閣,東大寺と同じ,にぎやかなにおいがしました。これも「世界遺産」に指定されたからでしょう。高野山に神秘的なものを想像し期待していた私にとってはなんだかがっかりしたところもあります。 
 「霊気を感じる」と言った人がいますが,そういうことからだんだん離れていっているのではないでしょうか。”女人禁制”だったころの高野山を願うわけではありませんが。 

 ただ,「町石道」を歩こうという人もたくさんいるようです。リュックサックを背負った,それとわかる人たちを何人も見ました。全行程22㎞の登り山道を歩こうというのは,それなりのしっかりした覚悟が必要です。わたしも機会があればいつか歩いてみたいと思います。

 

 宿坊に泊まる

 

 「普賢院」というお寺の宿坊に泊まりました。四国のお寺に比べて料金は割高ですが,施設やサービスは満足できます。精進料理も一品一品に手が込んでいて,品数も豊富です。おなかもいっぱいになりました。

 部屋には扇風機があるだけでエアコンの設備はありませんでした。しかし,8月の猛暑日でも,1000mの標高の地は快適に過ごせました。夜も更けてからは扇風機も必要がなく,しっかり布団をかぶって寝ました。

 

朝の勤行と写経

 

 高野山普賢院の宿坊で目覚めたのは4時半でした。自宅でないと早く目覚めてしまうのはどうしてでしょうか。 
 6時半から朝の勤行。和尚さんの読経を聞きました。理趣経でしょうか,私にはわからないお経でした。般若心経,舎利礼文はいっしょに唱えました。仏舎利殿で米粒のような仏舎利を見たあと,摩尼車をガラガラと回しました。そのあと,本堂に般若心経を奉納しました。9月28日(毎月28日)に護摩を焚いて祈願するそうです。きっと御利益があるでしょう。

 

高野曼荼羅

 

 朝食を食べたあと,8時前に宿坊を出ました。1500円の共通拝観券を買って,根本大塔,金堂,霊宝館,金剛峯寺,女人堂,徳川家霊台,金剛三昧院多宝塔,苅萱堂を見て回りました。 
 文句なしに迫力があったのは,根本大塔の大日如来を中心とした立体曼荼羅です。大塔は外観も迫力があります。紺碧の空に上弦の月も加わっていました。金堂の内陣もきらびやかでした。宝物館である霊宝館にあった両界曼荼羅もばかでかく,圧倒されました。 

 

女人道入り口

 

 高野山は明治5年まで女人禁制でした。女性の立ち入りが厳しく制限され、そのため各登り口に女性のための参籠所が設けられたのが女人堂です。納経所の人が声をかけてくれました。

「どこからお見えですか?」

「愛知県です」

「愛知県の人はたくさん来ますよ。最近は愛知県はいいそうですね。名古屋もずいぶん発展しているそうで。バイクで来たんですか?」

「すごくかかりました」

 

雨宿り

 

 11時に下山開始。国道370号線を下りはじめるとすぐ雨が降ってきました。その後は降ったり止んだり,御所ではついに雨宿りをしなければならないほど強く降ってきました。すぐやむかもしれないと思ってしばらく走っていましたが,いっこうにやむ気配なし,それどころかどんどん強くなってくるので,ドラッグストアの駐車場に止めて雨宿りをしました。ただでは申し訳ないという思いもあって,昼食用にパンを買って,軒先で食べました。ミミを切り取った調理パン(卵サンド),商品名は忘れましたが,なかなかおいしいパンでした。

 

当麻寺の西塔,東塔

 

 昼からは,当麻寺,中宮寺,法輪寺,法起寺によって,帰りました。 
 当麻寺では中将姫が一夜で織り上げたという曼荼羅を見ました。ただし,本物ではなくレプリカでした。当麻寺には東西2基の三重の塔があります。昔からの塔が両方とも残っているのは当麻寺だけだそうです。

「ここにたってみると,両方の塔が見えるでしょう」住職は金堂の縁にわたしを招いて2つの塔を示しました。

「薬師寺の西塔は新しく建造されたものです。西塔も東塔もそろっているのは当麻寺だけですよ」ご住職の自慢でした。

 

中宮寺

 

 中宮寺では国宝の半跏思惟像(如意輪観世音菩薩)などを見ました。美術や社会科の教科書に載っている有名な仏像です。そう思ってみるときれいな顔をしています。中宮寺は法隆寺の夢殿の隣にあったんですね,知りませんでした。修学旅行で何度も小学生を連れてきているのに,全く知りませんでした。

 初め中宮寺の場所がわからないので地元の人に聞きました。地元の人も「中宮寺」と言っただけではピンとこないようでした。しばらく思いを巡らせたあと,やっと腑に落ちたようで,「法隆寺なら,ここを右に行けばいいよ」と教えてくれました。まったく,中宮寺は法隆寺の隣にありました。

 

法輪寺,法起寺

 

 法輪寺,法起寺は外から見ただけです。いいかげん何遍も拝観料を払うのが耐えきれなくなってきたこともあります。そんなけちくさいことを言っていてはいけないでしょうか。お布施と思って気持ちよく出すのがあたりまえでしょうか。でも,結果的に貧乏人を拒絶することになるかもしれない拝観料というものは,お寺さんにはふさわしいものではないと思います。

 

鈴鹿は雨,名古屋は猛暑

 

 法起寺からは国道25号線で天理まで走り,名阪国道,東名阪,伊勢湾岸道と往路の逆をたどって帰宅しました。往路もそうでしたが鈴鹿山脈越えのところで雨に降られました。亀山PAで雨宿りを余儀なくされました。名古屋方面の空を見ると青空がひろがっていました。妻に電話すると

「雨? 一滴も降っていませんよ。一日中暑くて,暑くて」

 雨から脱出するように名古屋方面に向けて走り出しました。