8月9日(水)

日和佐駅
日和佐駅

オリーブ松山号での失態 

 とにかく眠らなければならないという思いが先に立った。 そこで,シートを思い切り倒して,いちばんいい条件で横になった。 それが,後ろの人に窮屈な思いをさせているということに,恥ずかしい話だが,ずいぶんたってから気がついた。 後ろの営業マン風の男性,おそらく 「この野郎,どういうやつだ。」などと思いながら,言葉にできない怒りを発信していたに違いない。 
 そのときわたしは正に,善人の皮(へんろ姿)をかぶった独善人であっただろうな。 人を思いやる,というのは難しい。

国道55号線
国道55号線

 

藤井家で心のこもった接待をいただきました。 

 30年ぶりに会った同級生。 瞬時に相手を特定,というわけにはいかなかった。 お互い顔を見合わせて,「・・・・・・だよね。」と,心の中でつぶやいていた,と思う。 私の菅笠と金剛杖は大きなヒントになったはずだが。 
 ご主人は,意外といっては失礼だが,若かった。 若く見えるのだろうか,なかなかかっこいい。 へんろの武勇伝を聞かせていただいた。 若いときのことではあるが,そんな速さで回れるなんて,わたしには考えられない。 

気温38度 国道55号線
気温38度 国道55号線

 

猛暑,気温38度 

 菅笠はどっちが前だったっけ。 1番で買ったときに教えてもらったのだが, どっちも前のような気がする。 
 国道55号線を歩く。 この後,うんざりする程この路線とつきあうことになるのがだ,そのときはそこまで思いは至らない。 へんろを再開できた喜びと,新しい道を歩き始める新鮮な気持ちをすがすがしく感じていた。 この時は・・・・・・。 
 前向きな思いが萎え始めたのは,そんなに経たないうちである。 体が重いのは,夜行バスでしっかり寝られなかったからだろうか, 息が上がるのは,雲一つない青空から降り注ぐ日差しのせいか。 日陰はほとんどない。コンビニも自販機もない。民家もまばらである。 次の自販機まで歩こう。そこで,思い切り冷たい○○を飲もう。 何でもいいからいっぱい飲もう。そう念じながら歩いた。しかし,いつまでたっても,何もない。逆に「ただいまの気温38度」という案内に出くわしたときには本当に疲れがピークにきた。 牟岐町に入る手前だった。 

太平洋 
太平洋 

 

携行食はやっぱり・・・ 

 暑さと渇きと空腹でエネルギー残量ゼロ状態に。 ベンチに座って,清涼飲料水をいっぱい飲んで休憩。 休憩は大事ですよ。10分の休憩は,60分の歩行力を復活させる。 ただ,空腹は休憩だけでは満たされない。 
 ここで初めてカロリーメイトなるものを買って,食した。 チョコレート味という触れ込みのものだったが,はっきり言って,まずい。 携行食としての自分のお気に入りは,第一にピーナッツ,次にチョコレートである。 このときはそれらを持っていなかった。小さな失敗。 結局,半分残ったカロリーメイトはこのへんろ旅の最後まで,保存食としてわたしといっしょに歩いた。

鯖大師 海部郡海陽町
鯖大師 海部郡海陽町

 

初めての納経は鯖大師 

 牟岐駅前でやっと出会った食べ物屋。 やっと手に入れた冷風空間,でもある。 15kmぐらいしか歩いていないのに完全にバテていた。 「歩き始めはみんなそうだよ。2,3日たつと体が慣れてくる。」後で知り合ったへんろさんがみんなそういってくれた。 結局このラーメン屋に1時間近くいた。 
 隣のテーブルには,今回初めてであったへんろさんがいたが, この若者とは一度も話す機会がなかった。 
 今回の初めての納経は鯖大師。 納経帳に書いてくれたおかみさん(だと思う)にオレンジジュースを接待していただいた。 

海山荘 海部郡海陽町
海山荘 海部郡海陽町

稲刈りがあるでなぁ 

 民宿「谷口」に電話をする。 
「次の日の朝早く出たいのだけれど,何時から朝食ができますか?」 
「明日は稲刈りがあるからなぁ。でも,何時でもいいよ。」 
「5時ぐらいでもいいですか?」 
「うぅーん,何時でもいいよ。明日来てから決めればいいよ。」 
 鷹揚ですごく感じのいい対応だった。これだからへんろ宿はありがたい。稲刈り,というのも実に民宿っぽくって,いい。  しかし,結局この「谷口」は翌日キャンセルしてしまった。おじさん本当にごめんなさい。へんろって,いろんな人に迷惑をかけてしまいます。