朝5時出発
琴電もまだ眠っていました。84番「屋島寺」へ向かいます。屋島寺までは7㎞ちょっと,7時の納経開始時刻ごろに到着する予定で歩き出しました。高松市もまだほとんどが眠っていました。
琴電の線路に沿って国道11号線を歩いていきます。高松市繁華街を抜けるころ,琴電も動きだし,わたしを勢いよく追い越していきました。
逆光の屋島
国道の橋の上から屋島の前傾が望めました。朝日を背に受けて,逆光の屋島は何かしら不思議な雰囲気を漂わせていました。ここで源氏の軍勢が平家を追い詰めたのか,その源氏や平家の武将と同じ土を踏んでいるという思いはちょっと現実離れをしています。
屋島寺へは手前の参道から一気に急坂になります。それまではのんびり歩けたのですが,最後の500メートルが打って変わって力勝負の修行坂路になっていました。
お寺の近くまで行くと急坂が待っている,というのは讃岐のパターンと理解はしましたが,平気には慣れません。毎回「いいかげんにしてよ」と弱音と悪態をついてしまいます。
下りもすごいよ
ヒイヒイいいながら山門に到着しました。予定より30分以上遅れ,8時近くになってしまいました。きつい上りになると,ぐんとペースが落ちます。地元の散歩のおじさんやおばさんも上っていました。毎日の体力づくりにはもってこいだと思います。
納経所ではお接待でお菓子をいただきました。
「上り,きつかったでしょう。下りもすごい道ですよ」納経所のおじさんの言うとおりでした。山道は急坂であるだけでなく荒れに荒れた道でした。足の裏全体で歩けるところがほとんどない,と言っていいほどです。それに加えて,アスファルトの道に出たあとも,これ以上ないという急な坂道でした。下りなので,体力的には問題はありませんが,歩きにくいのと膝にがくがく来るので,ゆっくりゆっくりとしか歩けません。
怒ってはいけません
「こんにちは」と挨拶をしました。しかし,どうもわたしの声と相手の声が重なってしまい,お兄さんにはわたしの「こんにちは」が聞こえなかったようです。
するとお兄さん,明らかに怒りを含んだ声で
「こんにちは!」とわたしにぶつけてきました。”ちゃんと挨拶しろ“と怒っているのです。
正直,むかっときました。しかし,怒ってはいけませんよね。せっかくへんろに来ているのだから,怒りに来ているわけじゃありませんから。怒ってはいけません。
思えば,あのお兄さんも観音様だったのかもしれません。「怒ってはいけませんよ」と,わたしに教えてくれる。
豊橋から来た若者
番外「州崎寺」の近くで,豊橋から来た若者といっしょに歩くことになりました。その後も何度か遇い,宿でもいっしょになりました。
「さぬきうどん,たべましたか?」
「まだ,その機会がなくて,タイミングが悪いようです」とわたし。
「わたしは食べましたよ。でも,嫁が作ったのと,変わらなかった」
「一度は食べたいと思っています。」
「豊橋から,高速バスで来ました。平日なら切符,とれますよ」
「わたしも最初の区切りの時はバスで来ました。安いけど,眠れなくって」
「眠ったふり,するんですよ」
なかなかしっかりした若者でした。30歳をちょっと過ぎたところでしょうか,本とのことは今でも分かりません。
そんな話をしていると札所の定番,坂道にさしかかってきました。
「ちょっと一休みしていきます」
やっぱり一人で歩きたかったのでしょう。若者がそんなに疲れているとは思えません。へんろは,だれかと出会いたいという気持ちは強いのです。そして,出会った人と話してみたいという気持ちも強いものがあります。でも,一人で歩きたいという気持ちはもっと強いのです,だれでも。もちろん,私もそうです。
再び一人歩きになり,八栗寺の急坂に立ち向かうことになりました。屋島寺に負けず劣らぬきつい坂でした。
山門ふきん改装中
山門付近が改装中のため,八栗寺は裏(大師堂)の方から入ることになっていました。山門付近は工事中で,通行ができませんでした。納経所の人によると,
「展望台ができると,屋島が一望できます」とのことでした。ぜひ観てみたい景色です。残念でした。
日陰のベンチで長い休憩を取りました。屋島寺の坂道,八栗寺の坂道がダブルパンチだったようです。さっき一休みすると言っていた豊橋のお兄さんは,
「お先に」と言って,86番にむかって足取り軽く行ってしまいました。
「元気なはずだよね,若いんだから」
日陰は涼しくて気持ちがいいし,靴と靴下を脱いで空気にさらすと身体はすっかり休まります。ただ,毎度のことながら日陰につきものの蚊,これがいなければ最高です。しかもここではなぜか足下に蟻がいっぱいいて,次から次へと足に上ってきました。これがまた痛い。やたら咬みまくります。蟻もわたしの休憩には要りません。
道の駅「源平の里むれ」
太陽が中天にまで昇り,最高に暑い日になりました。道の駅で“讃岐うどん”と思いましたが,ここにはお土産の讃岐うどんはあっても,讃岐うどんを食べさせる食堂はありませんでした(レストランはありました)。仕方がないので,本格的に食べるのはもうちょっと先にのばし,ピーナッツと84番で接待していただいたお菓子だけを食べることにしました。
そんなものでも,腰を下ろし,冷たいお茶を飲みながら食べると,生き返るような気がします。休憩室は変わっていて,学校の教室のようにしつらえてありました。机や椅子は実際に使っていたものでしょう。しかし,教卓が立派すぎました。あれは教室にある先生の机ではなく,体育館にある儀式用の演題でしょう。
でも,面白いコーディネートでした。
ついに讃岐うどん
国道11号線沿いにあった,ありました。念願のうどん屋。セルフサービスの大衆食堂でした。でも店内は新しくきれいでした。かけうどん230円,ぶっかけうどん300円でした。
「ぶっかけうどんって,なんですか?」讃岐うどんのことはよく分かりません。
「つゆが濃いんです。」
ぶっかけうどんを食べました。うまかった,おいしかった。なんといっても麺がいい,腰があるといいますか,麺にすばらしい弾力がありました。こんな麺なら,つゆだけあればいい,具なんかなんにもなくていい,と思いました。
平賀源内邸
国道11号線の両側はJRと琴電が走っています。琴電の外側に旧道があります。琴電の線路を横切って旧道に入りました。そこに,平賀源内邸がありました。高松市の志度です。こんなところにあったんだ,知りませんでした。平賀源内は天下の嫌われ者だったらしい,ということもその後に知りました。
うまかった
志度寺の入り口で豊橋のTさんと三度出会いました。
「うどん,たべました?」
「たべたよ」
「わたしも」
「国道の右側」
「えっ? 左側?」
どうも店は違っているようでした。国道沿いにもう1件あったのでしょう。
「おいしかった」とわたしが言うと,
「うまかった」と。朝,「嫁のと変わらない」と言っていた彼も満面の笑みを浮かべました。
志度寺
五重塔のある立派なお寺でした。納経所の億は休憩室になっていて,エアコンがばっちり効いていました。さらに,冷たい麦茶とお菓子のお接待。お菓子はバームクーヘンやクッキー,サブレなど豪華で,たくさんありました。
「檀家さんからのいただき物ですから,どうぞ」
なかなかお金持ちのお寺のようです。
暑い,県道が暑い
87番「長尾寺」への県道3号の暑さはとびっきりでした。県道の左側には歩道がありましたが,右側にはありません。歩道のない方を歩くと,ドライバーにはたいへん迷惑をかけることになります。自分の身が危険でもあります。そんな状況にもかかわらず,ときどき日陰になる右側を歩くことにしました。暑さと迷惑と危険を秤にかけての選択です。このときのわたしのいちばんの敵は圧倒的に“暑さ”でした。
それでも,ところどころで旧道にそれるとぐっと過ごしやすくなります。クルマという文明の利器が人に与える苦痛(精神的かつ肉体的に)は量りしれないものがあるのかもしれません。
ミニストップでカップのかき氷を買い,店内のテーブルで食べました。かき氷もおいしかったし,店内のテーブルがゲットできたことが最高でした。お大師様のお導きでしょう。
ビールより麦茶
87番「長尾寺」は広くて,閑散としたいい雰囲気のお寺でした。本当はこのお寺で土産などを買い整えて,郵送しようという計画でした。ついでに必要でなくなったものも送って身軽になるという作戦だったのです。でも,そういうお寺ではありませんでした。
広くて何もないというのもいいものです。しばらくの間ぼうっとしていました。10メートうるほど離れたベンチで,豊橋のTさんもぼうっとしていました。
「ビールと飲んだら,ぐったりしちゃって。ちょっと休んでいます」右手に缶ビールがありました。
納経所では冷たいお茶の接待がありました。わたしはそれで我慢しました,というわけではありません。近頃「お酒を欲しい」という気持ちがなくなってしまっているのです。
民宿「ながお路」
4時に民宿に着きました。きれいな宿で宿の人も親切でした。食事も二重丸でした。夕食は豊橋の若者といっしょに食べました。