高松市中心部
前回もそうでしたが、中心部でちょっと迷います。朝早くの出立ということもあるかもしれませんが,へんろマークが見つかりません。
見つからないというか,中心部には道もへんろマークがないようです。
地図を見ながら方向を定めるしかありません。
どうして中心部にはへんろマークがないのかが分かりました。分かってしまえば当たり前のことです。
たくさんの道があり,たくさんの宿があるのでおへんろさんがどこからどっちに向かうのかの選択肢が無数に生まれるわけです。無数にある選択肢の一つ,二つをとりあげてへんろマークを置くと間違った方向に進んでしまう人だって出てくるでしょう。
だからあえてへんろマークを置かない,そう思いました。
屋島と琴電
朝の屋島は逆光になります。川を挟んで向こう側に屋島。屋島の右端のうしろから朝日が出てきます。
手前の鉄橋を琴電が走っていくところをとらえることができました。
ここまで栗林公園近くの宿から1時間ぐらいでした。
屋島の元気なお年寄り
屋島はたかだか300m足らずの山ですが,坂がきついので上るのはたいへんです。
ところが,地元のおじさんおばさんたちはひょいひょい上り,すたすたと下りてきます。そういう元気なお年寄りとたくさんで会います。
犬を連れて走って行く人もいました。とにかくみなさん足取りが元気,毎日散歩していると体ができてくるんでしょうね。全く脱帽です。
屋島はさびれてしまった?
川久米旅館の旦那さんが言っていました。
「屋島は廃れちゃったなあ。もう誰も行かないよ,お参りに行く人以外は」
屋島と言えば壇ノ浦,歴史的には全国区の遺産なのに確かに何もないし,観光客で賑わうという雰囲気もない。
壇ノ浦を挟んだもうひとつの山,八栗がそこそこ賑わっているのとはちょっと対照的です。
八栗にはケーブルカーもあり,最近展望台もできたようです。
全国的には圧倒的に八栗より屋島の方が有名なんですけれどね。
壇ノ浦は屋島と八栗の間
屋島からの下り道に入る手前に展望台があります。
そこから見える細い水路のようなところが「壇ノ浦」。
こんな狭いところで源氏と平家は戦っていたんだ,と意外な思いがします。源平の闘いは絵本で見たり,テレビのドラマで見たりしますが,もっとずっと広いところのイメージです。
那須与一が扇を射たところという案内絵図がありましたが,ずいぶん狭く,近いところだったんですね。源氏の大群と平家の大群は目と鼻の先に対陣していたようです。
下り道がまたきつい
距離はあまりありませんが,急で荒れた下り道としてはナンバーワンじゃないかと思います。
「足元注意」という注意と掴まるためのロープが張ってありました。
こちらでも地元のおじさん3人組に出会いました。
下から上ってきて木陰で一休みしているところでした。3人とも「お年寄り」ですが,みな元気です。
その中の一人が,「おれ,何歳だと思う?」と聞くので,ちょっと若めにさば読んで65歳と答えたら,何と76歳のおじいさんでした。それでも3人のなかではいちばん若いようです。みなさんたいしたものです。毎日上っているそうです。「慣れますか?」と聞いたら,「ああ,慣れるよ」とこともなげに答えてくれました。
前日,根香寺で会ったおへんろさん
根香寺前の休憩所で出会ったおへんろさんに屋島の上りで再び会いました。上りでバテてベンチで休んでいました。
「おれ,上りは遅いんだ。足がもう動かない。普通の道はみんなに着いていけるんだが」
その言葉どおり,下りから普通の道ではけっこう速く,わたしは追い抜かれ,引き離されてしまいました。
もう何回も回っているそうで,屋島寺で出した納札は赤色でした。
兵庫県姫路市から来ているとのことでした。
八栗の上りの途中,ケーブル駅前のお店でいっしょにかき氷を食べました。
冷房のない小さな店で,最初に入ったときにはむっとした生暖かい空気に包まれちょっとへこみました。しかし,しばらく座っていると,外からの風が体をさらっていき,すごく気持ちがよくなりました。自然の風のよさを忘れていた思いです。
へんろ修行で死んだ人がいる
店のおばちゃんの話です。そのおへんろさんは1日に飲む水の量を決めていたそうです。室戸に向かう一本道で脱水症状で死んでしまったということです。
「水は飲まなあかんで。でもな,最近は水道水が飲めないという若い者が増えた。何で,飲めないんだ」
話がいろんなところへ飛んでいきます。
「お茶,補給して行きなよ」
そういって冷蔵庫から冷えた麦茶を出してくれました。いっぱい飲んで,ペットボトルに補給させてもらいました。
八栗からの展望
新しい展望台ができていました。5年前は工事中だったと思います。
見晴台に,絶景に背を向けて弘法大師像が置かれていました。
下から上ってくるおへんろさんに向かいあうようにすわっています。だからその名もそのまんまの「お迎え大師」となっていました。
お大師さんのうしろには
屋島を見渡す眺望が開けていました。
方角的に壇ノ浦を見ることはできませんでしたが,ふもとの街がよく見えました。
21%
屋島からの下りも急でした。ただこっちは舗装道路(車道)なので歩きにくいということはありませんでした。
下り傾斜21%の表示がありました。感覚的には45°ぐらいありそうな坂ですが,%数値にするとそんなものなんですね。
お金が,足りない?
気がついたら手持ちの金が1万5千円ほどになっていました。通常ならそれだけの手持ちで十分です。ところが今日は日曜日,ということは今日は郵便局で出金できません。日曜日のATMはどうだったかしらん,営業していてもこの先郵便局がなかったらおろせない。コンビニはどうかしら,・・・・・・。そんなことが急に気になってしまいました。
日曜日は気をつけなければなりません。
とりあえず86番「志度寺」まではコンビニを目指しながら歩きました。
旧へんろ道に入らず国道11号線をひたすら歩きます。地図にコンビニ表示があっても信用できません。
牟礼町のコンビニはなくなっていました。そのまま歩きつづけ,志度駅前まで国道を歩くことになってしまいました。 ルートを外れて歩かなければならなくなったらやっかいです。心配がだんだん大きくなっていき,疲労も倍加して気落ちしていたら,地図にないコンビニが突然目に入りました。
助かったと思ったけれどもATMのないコンビニに以前出くわしたことがありました。油断はできません。楽観して落とされるよりあらかじめ悲観モードで接触した方が落胆は小さいかな,などと臆病な気持でコンビニに入りました。
首尾よくATMを確認し,出金できたときは天国もかくやと思うぐらいの幸せ気分になりました。
志度寺の納経所
冷房中の室内にテーブルと椅子。そして冷たいお茶に飴と菓子。
それが自由に使えます。至れり尽くせりの休憩施設でした。
ここでも屋島・八栗で会った姫路のおじさんといっしょになりました。
「今日の宿,とらないかんなあ」
そういいながら電話をし出しました。「ながお路」に電話しているようでした。
わたしは昨日「あづまや旅館」に予約しました。心配性のわたしは前日に宿を決めてないとどうも落ち着きません。その日の歩きかげんで宿を探す人がけっこう多いのですが,わたしはもしとれなかったらどうしようと心配になってしまいます。堂々としていてかっこいいなあと思いながらもできません。気が小さいのです。
あづまや旅館
87番「長尾寺」門前の旅館です。いい宿でした。
建物や料理が立派ということではありません。
おかみさんや旦那さんの心がこもった旅館だったということです。
部屋がたくさんありました。もともとは大きく流行った旅館だったのだと思います。
前日に電話して予約したときに,おかみさん(おばあちゃん)が
「ながお路さんでなくていいんですか?」
そんなふうに言われました。隣はおへんろさんに評判のいい旅館「ながお路」です。前回はながお路さんに泊まりました。確かに小ぎれいでいい宿でした。へんろ道の相談にも乗ってくれて,親切でもありました。今売り出し中の勢いのある旅館なんでしょう。
もともと前回とは違う旅館に泊まってみようと思っていました。そして,電話口でのおかみさんの謙虚な言葉で「あづまや旅館」に決めました。
「あづまや旅館」にしてよかったと思います。