8月16日(火)

太龍寺へ,へんろ道
太龍寺へ,へんろ道

「あぁ,えらぁっ!」 

 今日は2つの山越えをする。20番「鶴林寺」と21番「太竜寺」である。 そのあと22番まで10kmの長い道のりも控えている。 へんろ転がし以来のつらい行脚になりそうである。 その予感は,鶴林寺の登山口に入ってすぐ当たった。 
 ジグザグ歩行をしないと登っていけないような急な坂路がようやく終わったと思ったら,1段1段が高い階段の連続。 ふもとから山頂まで3キロメートルほどなので,へんろ転がしよりずっと短いのだが,下りや尾根道がない急なのぼりの連続はたいへんこたえる。 18番「恩山寺」であった若者2人は,さすがにテンポよく足を進めわたしを軽く追い抜いていった。 
「遅くても確実に前に進んでいるのだから,いつかは着く。」ただただそう思い進んでいった。 
 登り初めて1時間の余,車道を降りてくる若い女の子のへんろに出会った。 
「太竜寺に行くのはここを下りていけばいいんですか?」とわたしに聞く。 初めてのわたしに道案内などできるわけはないが,このときは方角的に「違う」と直感した。 
「反対側を下りるんじゃぁないですか?」 
「そうですよね。やっぱり、違ったかぁ。」とういことで2人で急な階段を上ることになった。 女の子は若いだけあってすいすい登っていく。 わたしはそのあとを遅れないように必死でついていくという格好になった。 そのときわたしの発した言葉「あぁ,えらぁっ!」,この言葉がわたしのお里を証明してしまったのを,このときはまだ気づいていなかった。 
「もうちょっとで着きますよ。」と上からかけられた声がなんとうれしかったことか。 山頂では先の若者2人にもまた会うことができた。 

太龍寺へ,へんろ道
太龍寺へ,へんろ道

 

水分補給と携行食 

 焼山寺,鶴林寺,太竜寺の三ヵ所を「阿波の三難所」と呼ぶ。 最後の難所太竜寺もやはり急な階段の連続であった。 鶴林寺の人には「2時間か3時間」と大雑把なことを言われたが,わたしの足ではたっぷり3時間かかった。 
 山道の携行食はわたしとしては第1に「バターピーナッツ」。 理由の第1は大好きだということ。しかも携行食としての性能は高い。 歩きながらでも食べやすく,少量でも結構なパワーになる(ような気がする)。 
 第2は,「チョコレート」。これも同じ理由だが,食べたあと口に残るのが難点かな。 昼食用の食料としては,「パン」。 普段はほとんど食べない食材だが,やむをえない。 餅のような食感のパン(商品名を忘れてしまった)がなかなかおいしかった。 甘い菓子パンは不可。 
 平地を歩いていたはじめのころは,自販機でポカリやお茶,ジュースを惜しみなく買って飲むというぜいたくをしていた。 当然これは山道では通用しない。後に反省したのだが,平地でも妥当な行為ではなかったな。 
 出発地で空きのペットボトル(500ml)2本に水をいっぱい入れて持ち歩く。 のどが渇いたらすわってそれを飲む。生ぬるくおいしくはないが,何回も飲むものとしては味がついているものより“水”の方がいい。 ただし,重い! 

21番「太龍寺」阿南市加茂町
21番「太龍寺」阿南市加茂町

 

阿波の三難所踏破 

 三難所目「太竜寺」山門に着いたと思ったら、思い切り急な坂。その坂を上がりきると今度は急な長い階段。 何でお寺というところはこんなに階段が好きなんだろう。 山頂では先の若者2人と女の子にまた会うことができた。 
 ここは最近ロープウェイができ気軽に登れるようになったそうだ。 だたし,往復で2500円は誰しも“高い”と思うようだ。 

お里が知れた話 

 太竜寺から22番平等寺までは10kmあまり。 長いが山越えということではないのであまりプレッシャーはなかった。 しかし,8キロメートル過ぎにちょっとした山越えがあったのには裏切られたような気持ちになった。 しかも,峠を越してからのくだりが延々と続く。同じような道が長く続くというのは心理的な負担が大きい。 
「いいかげんに、もうぅ!」と何度思ったかしらん。 
 ようやく山を抜けると先に出発した女の子が休憩していた。 この子は,わたしも同じなのだが,休憩するときは必ず靴,靴下を脱いで素足を風にさらす。 これはマメを作らないようにするための一番の対策,たいへん重要なことである。 そのときも足を風にさらしていた。ちっちゃな素足がつっと前に伸びているのがたいへんかわいらしい。 
 いっしょに座って,同じように足をさらして休憩した。 
「どこから見えたんですか?」 あまり個人的なことを聞くのはよくないかもしれないが,これくらいはいいだろうと思って話のついでに聞いてみた。 そしてその返答にわたしは驚いた。 
「たぶん同じだと思います。」 
「????」 
「最初に遭ったときにそう思いました。たぶん,同じじゃないかと。」 
「えっ! どういうこと?」 
「名古屋の方じゃぁありませんか。」 
「そう,どうして?」 
「最初に遭ったとき,えらっぁ,って言いませんでしたか。あれ,名古屋のオリジナルですよ。わたしも名古屋です。」 
 名古屋からバスできたそうで,名鉄バスセンターから出ている昼間に運行している徳島駅行きの名鉄バスがあると言っていた。 しかし,未だにその路線のことがよくわからない。 (JRが運行している夜行直通バスは知っているが。) 

山茶花で会った人たち 

 6日目の宿,22番門前の「山茶花」で出会った人たちのこと。 
Gさん(女) 
 鶴林寺の手前であった名古屋からきた女の子。 わたしの“お里”を見破った女の子である。 実は前日の「金子や」からいっしょだった。 

Hさん(男) 
 通し打ちをするという若者。 今回10人以上のおへんろさんと出会ったけれど,通し打ちをするという人はこの人だけだった。 

Iさん(男) 
 わたしより年配だと思われる白髪のおじさん。 1日35㎞ペースで旅行者に日程を組んでもらい,4日間で22番まできたという強者。 今日も18番の前の「民宿ちば」からきたそうだ。 わたしやGさんHさんの出発点「金子や」よりも10㎞も手前である。たいへんな強者には違いないが,今日ついにマメを作ってしまって歩けなくなってしまったので,泣く泣く今日でリタイヤすることに決めたそうだ。 
 わたしを含めてほかのみんなは 
「それはすごい!」 
「でも1日35㎞は無茶じゃないですか? 平地の35㎞なら歩けますけれど。」 
「山道もそれでいくなんて,無茶ですよ。」 
「マメを作らないようにするには,靴下を脱いで足をしっかり乾かすことですよ。」 などなどと・・・・・・。リタイヤは残念であったが,話は弾み盛り上がった。 

Jさん(男) 
 同じテーブルで食事をとったが,話の輪には入ってこなかった。 翌日この人だけは朝食をとらずに,朝早く(5時ちょっとすぎだったと思う)に出発した。