歩くのは,朝
気持ちがいいのは朝の9時までです。普通に歩けるのはせいぜい1時まで、それ以降は苦行になってしまいます。
朝の国道は快適でした。速くならないように気持ちをセーブしながら歩きます。そういうときにも,青いシャツのお大師様を思い出します。すると余裕が出てきます。周りのものがいろいろと目に入ってきます。
地面には死んでひからびたミミズやムカデがはりついています。セミやチョウ、ヘビも見ました。モグラもいました。おびただしい数の生き物が死んでいます。無縁仏が目に入りました。人間だって例外ではありません。
ところどころにへんろで行き倒れた(らしい)無縁仏があります。今でもそういう人がいるのでしょうか。戻れないで半永久的に巡っている人もいるそうです。
坂瀬トンネル
新しいトンネルと新しい道ができていました。山をぶち抜く近代建造物です。うんと遠くから見たら,このコンクリートやアスファルトも山や川といっしょの”自然”に見えるのでしょうか。
SF作家の小松左京が,
「琵琶湖も,200億年もたったら,きれいになりますよ」
といったそうです。自然は人間とは別次元のスケールで動いているようです。
ヨウ素の半減期は8日,セシウムは30年です。ここまでは人間の脳にも普通に入ります。が,プルトニウムは2万4千年,ウラン238は45億年です。完全に人間のスケールを越えています。こんなの,誰が相手にできるんですか?
だらだら下りの県道
だらだら下る坂道は歩くのにも余裕が出てきます。気をつけることは調子に乗って歩きすぎないことだけです。歩きすぎると,体は大丈夫でも必ず足にきます。これは人によりさまざまのようですが,私の場合は足にマメができます。
1時間をめどに座って休憩します。そのとき,くつを脱いで靴下も脱いで足を乾かします。体質によって,「マメなんかできたことない」という人はそんな必要はありません。
ふと視線を上げるとしゃれたへんろ小屋がありました。なぜか大きな鏡があり,全身がしっかり映りました。姿見が必要なおへんろさんが,しかも,ここで必要なおへんろさんがいるとは思えません。
別格2番「童学寺」
別格へは往復3㎞の寄り道でした。だいたいの道は「復」より「往」の方が長く感じますが,あれはどうしてでしょうか。ここも,童学寺トンネルを出てからのわずかな距離を思いの外長く感じました。
抜け道らしき未舗装道路を見つけたので,納経所のおじさん――おじいさんと言った方がいいか,鼻に酸素吸入チューブを付けたまま納経帳を書いてくれました――に聞いてみました。
「砂利道は,行けるんですか」
「行けんよ,となりに行くだけだ」
即答でした。
別格2番では座ってゆっくりしましたが,その間だれも来ませんでした。
アスファルトは,暑い
朝からずっとアスファルトの道を歩くのは4日目にして今日がはじめてでした。昼を過ぎると暑さがボディブローのようにじわじわと効いてきます。
くつの中も汗ばみ,マメができそうな感触を実感するようになりました。
くつの中で小石を踏んでいるような痛みが最初の兆候です。くつを脱いで逆さにしても小石はありません。皮がふやけて柔らかくなったところが小石も何もないのに針で突いたように痛むのです。
大日寺の手前に今が旬の,風力発電,その電力を利用したへんろ休憩小屋がありました。中はきれいでこざっぱりしています。扇風機もありました。冷たいお茶や飴のお接待もありました。もう少し長居をしたいとも思いましたが,・・・・・・・。
人が少ない
もともと真夏だからおへんろさんはおおくありません。歳時記で遍路は春の季語になっているように,お遍路さんというと似合うのは菜の花や桜です。
しかし,今年は例年以上に少ない。
「やっぱり,大震災が影響しているんでしょう」
「東北の人は来ないし,それでなくても,心理的に控えめムードになっている」
青いシャツのお大師様も言っていました。
私がお勤めと休憩をしている間,大日寺を訪れた人はひとりだけでした。
暑さで,頭がボーッとしてきた
14番「常楽寺」に来たころから,暑さが身に応えるようになってきました。動きがだんだん悪くなり,毒が全身に回っていくような感触でした。
15番「国分寺」では,もうすっかり力がなくなり,1時間近く本堂の日陰で寝ころんでしまいました。
当初は,17番「井戸寺」まで打って16番「観音寺」のそばの宿に投宿するつもりでした。が,この時点で計画変更です。
17番まで行くのはあきらめました。無理をして歩き続けると,確実にマメを作ってしまいそうです。
本堂でごろりと休んでいると,車で来た若い夫婦のお遍路さんがお勤めを始めました。ぎごちない,訥々とした般若心経でしたが,一所懸命な気持ちが伝わってきました。
鱗楼で
世田谷さんと横浜さんがいっしょでした。世田谷さんは,17番まで行って戻ってきたそうです。
「30分で行けましたよ。納経所で書いてくれた人が,すっごくわかい,きれいな女の人でしたよ」
そんなの聞いたら,「やっぱり無理しても行くべきだったか」なんて,また迷いが戻ってきてしまいました。