栄家旅館を出たときは真っ暗でした
朝5時前に出立。あたりは真っ暗でした。黒板の家屋の栄家旅館が闇の中にひっそりとしていた。民宿らしいいい宿だった。
「お一人の時は,お部屋まで運ぶんです。」と夕食を部屋まで持ってきてくれました。
宿帳は普通のノートに書き込むようになっていて,ちらちら見ればいつどんな人が泊まったか一目瞭然でした。8月は少ない。今日はひとり,昨日ひとり,その前はなし,その前もなし。・・・・・・,これでやっていくのはたいへんかもしれない。でも,わたしたちにとって頼りになる宿としてやっていていただけることに,素直にありがとうございますと言いたい。
15周まわりつづけているとは
金剛杖を見たときびっくりした。持つところが丸く削れて細くなっているのだ。
「昨日はここで泊まったんですか」
「その布団,敷いて寝たよ。」
履き物がゴム草履というのにも驚いた。
「これくらいの山だったら,これでいい。靴だと濡れたときに乾かさなくてはならんから,宿に泊まるなら乾かすのは簡単だけどね。」
考えてみれば,私のように超スペックの靴で武装しているへんろなんて,最近に限ったことである。お大師様は当然わらじのような履き物だっただろうし,それは江戸,明治と時代が下っても似たようなものだっただろう。昭和の時代だって長いことほとんどそんな状態だったに違いない。
とすれば,それはわたしたちの足が退化したということなのだ。武装しないと歩けなくなってしまったということなのだ。
進化論とか進歩と買い受けれど,人類や生物が歩んでいる方向は本当に“進”なのだろうか。
星ガ森と石槌山とアブ
奥之院「星ガ森」って,これだけ?
そう思わなかった私は,奥へ奥へと進んでしまった。2kmほど歩いても何もない。あれだったかもしれないと思って,戻ったら,あれだった。
途中山の中でアブの大群におそわれた。1匹や2匹だったら何ともないのだが,大群となると話が違う。うっとおしいだけでなく,さされるとひどく痛い。手で何度払ってもいつまでもまとわりついてくる。
「いいかげんにしてくれ!」ともうちょっと長く続いたら,全面降伏していたかもしれない。
ただ,アブが襲ってきたという言い方は,人間の方からの見方である。もしかしたら,人間の私が,アブの聖域に土足で踏み込んでしまったかもしれない。
”だいしどう”です
60番「横峰寺」で納経していたときに若いお坊さんに聞いた。
「次へのへんろ道は,たいしどうの横を行けばいいんですか?」
「だいしどうです」
「だ,だいし・・・。」
「こうぼうだいし,でしょう? たいし,じゃありませんよ。みんな間違えるんです。」
「あっ,そうか。たいしは聖徳太子だ。」
「そうです。たいしは皇室関係の言葉です。こちらはだいしです。」
きっぱり力強く私の間違いを指摘された。ただ,嫌な感じは全くなく,小気味よいさわやかさをともなった言葉だった。私は出鼻を挫かれたわけだが,気分は悪くなかった。「みんな間違えるんです」という言葉がちょっとした救いでもあったけれど。
「前の水,飲めますから持っていってください。」
この言葉もこのときの私のとってありがたいお接待だった。
長い下りのへんろ道
こちらのへんろ道から横峰寺に上る,という選択肢もある。外国人女性とすれ違った。
「もうちょっとです,頑張って。」と声をかけたが,こちらから上がる方がたいへんだな,と思った。長珍屋で快速社長が「湯浪の方から上がる方が簡単,初心者向きだよ。喫茶店がある方。」と教えてくれたとおり私は上って,白滝奥之院ルートを下っている。確かにこの方が簡単だ。
白滝奥之院ルートは長い。下りが長く続いたと思ったら,上りがくる。そしてまた長い下り。それが3回ぐらい繰り返される。
「せっかく下ったのに,何で上りなんだ。」これは精神的にダメージがある。これを上るとなると,長く上ったあとに突然下りになるのだから,ダメージは倍加する。
湯浪ルートはそんなことがない。自動車道をずうっと上ったあと,へんろ山道を一気に上る。急坂は体力的に消耗するが,一気に行けるので精神的な落胆は少ない。
外国人の女性は私とは反対のルートを選択していたのだ。
「がんばってね,いきなり写真を撮ってごめんなさいね。」
香園寺にはびっくり
市民会館のような建物,これだけを見たらだれもお寺だとは思わない。数百メートル手前から建物が見えていたんだが,まさかそれとは思わなかった。私の感覚からすれば,「ふざけたお寺」だ。
本堂にも畳がない。市民会館の大ホールだ。機能だけを考えれば畳よりいすの方がいいのかもしれない。とくに足の弱ったお年寄りのことを考えれば,畳にこだわることはないと言えるのかもしれない。
今までの思い込みを捨て,時代に合わせてお寺も変わっていけばいいのだろうか。
ただ,ここで線香を焚くのか,馴染まないなぁ,という思いを私はまだ持つ。
畳の本堂は開けっ放した広い部屋に涼しい風が吹き込んでくる優しさがよく似合う。ホールになってしまうと,密閉した空間のなか,エアコンによる調整が必須になるでしょうね。
集団バスへんろの人たち
一斉に読経したところはなかなかの迫力だった。とくに読経をリードしていたツアーコンダクターの人だろうか,しっかりした声でたくましいお経を上げた。私もあんなふうに読経できるようになりたいと,心から思った。
境内にあった成就石。目をつぶって金剛杖が穴に入れば願い事がかなうというのである。
私もやってみた。簡単に入った。
コンダクターの人の話を聞いてみると,
「本堂の前から,というのは遠くからでも近くからでも“前”だからどこからでもいいんです。でも,遠くからやれば難しい願い事がかなうんでしょうね。」
私はめちゃ近くからやったんです。簡単な願い事とは思わないんだけれどね。どんな願い事だったかは,当然秘密です。
自転車へんろにはへんろ表示は目に入らない?
自転車は速い。歩いている私をさっと追い越していく。私はトコトコ・・・トコトコ。ところが,さっき追い越していった自転車がまた後ろから追い越していった。道を間違えたのだ。止まって地図を開いて確かめている。
自転車のスピードではへんろの表示が目に入らないのかもしれない。速すぎて。わたしたち歩きへんろはたぶん地図がなくても歩いていける。へんろの案内表示が必ずあるからである。前を向いてゆっくり歩いていけば,見落とすことはない。
もしかしたら,普段の生活,人生行路においても,速すぎて見落としていることがたくさんあるのかもしれないな。
今回の区切り最後の納経
64番「前神寺」ここが,今回の区切りの最終。今回は44番から64番まで21の札所に納めることができた。最後広い敷地の落ち着いたお寺だった。読経もしっかりできたと思っている。
納経所手前で,通りがかりのおじさんからポン菓子のお接待をしていただいた。
「おへんろさん,お接待。」といってさっと渡してさっと去っていった。鮮やかな手口だった。
初めて泊まったビジネスホテル
サービスや接待は期待できないが,意外に安い。
素泊まり 3,900円
朝食のみ 4,400円
夕・朝食付き 5,250円
素泊まりに比べて食事付きの方が割安感があるのは,下のレストランと提携していて(同じ経営かもしれない),レストランの方も儲けさせるように,というところだろうか。
ちなみに,浴衣の賃貸が100円。洗濯も有料だったが,利用しなかったので,いくらかわからない。
割り切って泊まるのなら,利用して損はない。