朝の勤行
おつとめは御影堂で5時半からでした。時間は1時間弱,講話と読経です。
和尚さんの講話は「お葬式はいらないとは言って欲しくない」という言葉が印象に残っています。お寺さんにとってはこれからの世の中ますます厳しくなりそうです。
読経は般若心経と理趣経(だと思います)でした。般若心経はよくわかりますが,もうひとつは変わった読み方だったので理趣経(?)と思ったのです。
何はともあれ足がしびれまくりました。途中で足を組みかえたり,もんだりしたから,終わったとき何とか立ち上がれました。隣の若い男の子(カップルの片方)は立ち上がれず,倒れんばかりに崩れ落ちていました。頑張りすぎてしまったようです。
勤行終了後朝食でしたので,食べ始めたのが7時半近くになりました。出立の支度は勤行の前にしてあったので,朝食後すぐに76番に向かいました。
逆打ち?
静かな早朝の善通寺市街を通り抜け,高速道路をくぐり抜けると目指す金倉寺が見えてきた時,若い男性へんろとすれ違いました。逆打ちかと尋ねてみたら
「逆打ちというわけじゃないんです。3日前に88番まで終わり,まだ日にちに余裕があったので,気に入ったところを歩いているんです。」荷物の感じからすると,野宿をしながら回っている人かもしれません。
わたしも88番まで終わった今は,「もういちどゆっくり歩いてみたい」という気持ちがわかります。でも,その時はそんな余裕はとうてい持てませんでした。
出会いの縁
金倉寺では若い女性へんろを見かけました。でも,結局この人はこのとき1回きり見かけただけで,再開することも話をすることもありませんでした。そういう出会いも縁の一つでしょう。次の77番「道隆寺」でも外国人ふうの若者を見かけました。この若者は道隆寺を出ると,わたしの100メートルほど先をしばらく歩いていましたが,わたしより歩くのが速く,ついに見失ってしまいそれっきりになってしまいました。
「先に行ってしまったなあ」と思っていても,その先で出逢うこともあります。翌日ひょんなところで出くわすこともあります。しかし,この2人は結局で会うことはありませんでした。縁があったのか,それともなかったのか,どちらなんでしょうか。
ウォータークーラー
77番「道隆寺」には手水の横にウォータークーラーが設置してありました。歩きへんろにとって何よりのお接待です(冬場はあまりありがたいものではないかもしれません)。お接待してあげましょう,という人間くささのないところが最高にいいと思いました。
後ろ姿
セルフタイマーで撮った後ろ姿です。今回のへんろの写真の中でいちばん気に入っている写真です。今まで後ろ姿を撮るという発想に至りませんでしたが,自分では見られない姿をとってみるというのはなかなかいいものです。
丸亀城から郷照寺へ
78番「郷照寺」へは丸亀市街を通り抜けます。繁華街を貫く県道から右手奥に丸亀城がぽつんと小さく見えました。郷照寺は瀬戸大橋が架かる街,宇多津町にあります。このあたりが本州岡山にいちばん近いところでしょう。お寺は少し高いところにあり,瀬戸大橋と通りかかる電車がはっきり見えました。
ベンチもない
郷照寺でコンビニ弁当を食べました。縁の下の日陰をさがして腰を下ろしたのは,休憩所もベンチもなかったからです。ウォータークーラーまであった77番とは大違いだな,と思ってしまったわたしは間違っているかもしれません。ただし,高いところにあるお寺なので景色がよいのと,時折心地よい風がふうっと吹いてくるのが最高でした。
シャッター通り
79番「高照院」までは坂出市街を通り抜けていきます。アーケードの整備された商店街を通りましたが,ほとんどの店のシャッターが下りていました。土曜日だからということではないと思います。これは地方の不景気を象徴する出来事なんでしょうか。商店街を抜けると大型ショッピングセンターがありましたが,その影響が大きいのでしょうか。どちらにしても気持ちのいいことではありません。
ただし,「かけうどん230円」のお店は繁盛しているように見えました。わたしとしては,弁当を食べたあとに見つかったうどん店を,恨めしげに通りすぎることになってしまいました。なかなかタイミングが合いません。こうなるとますます「讃岐うどん」なるものを食べてみたいという欲望が高まってきます。
親切な案内
79番「高照院」は駆け足で通りすぎてしまいました。約7㎞先の80番「国分寺」に5時までに着き,今日中に納経を済ませたかったからです。
堤防道路から国道11号線に出る手前に,たいへんていねいな案内がありました。こういう案内を作っていただいた方にはもちろん,案内板をいつまでもいい状態で保存していただける地元の方にひたすら感謝です。この案内,この地だけではありません。四国88か所すべての地域に関して,へんろの案内がなかったり,間違っていたり,ましてやいたずらがしてあったりなどということは今まで一度もありませんでした。四国のすべての人に,感謝,感謝です。
5時で閉門
昼過ぎから暑くなりました。しかもじめじめした暑さが体力を少しずつ奪っていきました。とくに国道にはいってから,気分的な苦痛も加わって,急に身体が重くなりました。鴨川駅の駅舎のかげでたっぷり休憩し,たっぷりお茶を飲みました。やっと命を吹き返した思いがしましたが,しばらくは動けませんでした。
国分寺は立派なお寺でした。ただ,立派なだけに管理の厳しいお寺でもありました。国分寺に着いたのが4時半すぎになってしまったので,先に納経を済ませてそのあとゆっくりしようと思いました。ベンチ代わりになる手頃な置き石に腰を下ろし,靴と靴下を脱いで,ごろりと転がりながらゆっくりしていると,何とも言えない心地よさを味わうことができました。もうこのまま日が暮れるまで,ここでうとうとしていよううかと思ったときでした。
「門を閉める人が待っているから,お願いします。」という声が上から降ってきました。
「閉めるんですか? 門。」
「文化財があるところはみんなそうだよ。」
そうなんだ,門の方を見やると,年配のおじさんがこっちを見て立っていました。あれが「門を閉める人なんだ」と,そんな役職があるなんてはじめて知りました。・・・・・・もっと,もっとのんびりしたかったなあ,本山寺のように。
由緒名あるところはどこも厳しいのでしょうか。でも,善通寺はどうだったかしら,門を閉める,などということはなかったように思いますが。
せと国民旅館
おじさんは親切でした。翌日の白峰登山のルートをていねいに教えていただきました。また,「工事で泊まっている人が今コインランドリーに行っているから,早く風呂に入った方がいいよ」とか「88番に行く途中の前山お遍路交流サロンはぜひ行ってください」とか,いろいろと教えてくれました。
宿泊料も5500円と値打ちです。この料金で多くの贅沢は言えませんが,部屋と付属設備(テレビとか布団とか茶卓)の古さには不満が出ても仕方がないかもしれません。