旅館吉野で
前日の夕食は5人で食べました。
大学生2人は11番「藤井寺」をまだ打っていませんでした。朝,7時に藤井寺を打ってから登山ということになります。私と世田谷さん青森さんの3人は藤井寺をパスしていきなり登山に向かえます。
「できるだけ早く行きたいので,朝食抜きで5時に出発します」
世田谷さんと青森さんは夜明けとともに歩くことになりました。私が前回の曖昧な記憶で,「
8時間以上かかったような気がする」と言ったせいです。後日帰宅して調べてみたらそんなにもかかっていませんでした。相当へこたれてしまった思い出があり,悪気があって間違えたわけではありません。
私も早く出発して,と思いましたが,朝6時の朝食は食べることにしました。
逆打ちの方が簡単だからだよ
藤井寺に向かって歩いていると,
「足,はやいな」
と声がかかりました。青いシャツを着た年配のおじさんが歩みを寄せてきました。
「杖,使い込んでるけど,何回か回ってるんか?」
おじさんは6年前に癌に罹り,胃と胆嚢をとったそうです。
「毎日,平日はもっと早くから歩いてる。仕事に行く前に,必ず」
ちょっと先の展望台まで,時には柳水庵までを往復することもあるそうです。
「富士山は毎年,登ってるよ。あれは,わしの体力測定」
富士山を登るにはちょっとコツがあるそうです。
「九合目からはゆっくり・・・」
「山道に入ったら,あんまり食べない。水があればいい。それと,カロリーメイト,あれ,バカにしていたけど,あれがあれば,ほか,いらないことが分かった」
山は若いころから好きで,今でもあちこち行くそうです。
「大山は日帰りで行くよ。御嶽も行ったことある」
そのなかでも,ここ焼山寺の道がいちばんいいと言っていました。
「このへんろ道は,誰にも会わないからいい。ひとりだけになれる。逆からは滅多に来ない」
ここは逆打ちがないそうです。なぜかと聞くと。
「逆打ちの方が簡単だからだよ」
20分ほどいっしょに歩きました。ペースはゆっくりですが,一定のスピードです。私には少し遅いぐらいの歩みでした。
しかしよくよく考えてみると,この歩みがこれ以降の山道の私のペースになりました。後々何度も思いましたが,このペースが私を守ってれたように思います。一歩一歩,どこまでも歩き続けられるように思える歩みでした。
お大師様が,私に山道のペースを教えてくれたのでしょうか。
一本杉のお大師様
不思議と前回の記憶にありません。はじめてこんなとんでもない山道に来て,それどころじゃなかったのかもしれません。
標高745m,焼山寺のへんろ道ではいちばん高いところです。ここから一気に350m下って,また300m登ることになります。
焼山寺の正念場に向かうお遍路さんにエールを送っているのがこのでっかいお大師様です。
誰が,どうやって運んできたのだろう,などと詰まらぬことも考えてしまいました。
精神的にもくたびれる下り
もっとも下ったところに小さな集落があります。
「あそこの人は炭焼きをしている。私のよく知っている人だ」
藤井寺からいっしょに歩いた青いシャツのお大師様はそう言っていました。
ここまで急な坂を下るのは本当に大きなダメージを受けます。長い長い坂が永遠に続くようです。まだか,まだか,と,今回は知って歩いているからいいけれど,初めての時は本当にへこたれました。
「せっかく登ったのに,どこまで降りてしまうんだ」
こういう気持ちが,次に待っている上りを登る意欲を大きく削いでしまうのです。
立ち止まる,休むことも必要です
これほど的を射たメッセージは長い人生の中でもそうはありませんでした。上り坂を前屈みになって,杖を頼りに一歩一歩自分の体を引き上げていきます。自然に視線は下を向き,地面ばっかりを見ることになってしまいます。
もうだめだ,と足を止め,ふと見上げると,小さなメッセージが
「立ち止まる,休むことも必要です」
語呂がいいわけでも,しゃれた言葉が使ってあるわけでもありませんが,心にズンと響きました。
いちばん坂
いちばん坂を登り終えて,焼山寺の参道にはいるところで世田谷さんと青森さんに追いつきました。
「やっぱり,はやい。さすが健脚」
2人に褒めてもらいました。
なんといっても2回目だというのが大きいと思いました。先が,少しでも見えているということがこんなにも強いものかと言うことを実感しました。初めての時は,下りで死ぬほど打ちのめされて,その後の上りで本当に死にました。終わらない坂とも思いましたが,今回はそういう思いはありませんでした。
それともう一つ,青いシャツのお大師様のペースがありがたかったと思います。その後の山道でもいつもこのペースを思い出していました。
焼山寺の納経所
青森さんが柳水庵の2人のことを納経所の人に尋ねていました。
「今は,どうされたんですか?」
「わかりません」
ちょっと語気の荒い,投げやりな返事だったので,びっくりしました。
「ちょっと,○○さん,こっち,手伝ってください」
奥に向かって,もうひとりのお坊さんに声をかけました。声をかけられた人は,近くにいた知り合いの人と話し込んでいます。
「○○さん,お願いします」
○○さんと呼ばれた人は,聞こえているのだけれど,さっとは行きたくないというふうで,まだ話し込んでいます。
なんだか,あまりいい感じはしません。
私も,ちょっといたずら心を出して聞いてみました。
「一本杉の,お大師様,どうやって運んだんですか?」
「はあ?」
「お大師様,一本杉の・・・」
「わかりません」
バカなことを聞くな,という調子でした。
水で遊んできます
世田谷さんといっしょに下山しました。世田谷さんは神山温泉まで,私は寄居まで歩きます。私の方が3㎞ほど手前です。
「若いころは登山をしていました。富士山ツアーの添乗員をしていたこともあります」
富士山は普通の山とちょっと違う,と世田谷さんは言いました。でも,どう違うのかよく聞き取れませんでした。中学生の時に父親の後について登ったのが私の富士登山の全記録です。もう一度登ってみたいとずっと思っています。どう違うのか,もう一度聞いてみたいと思いました。
鍋岩をすぎて少し歩いたら,
「ちょっと,下に降りて,水で遊んできます」
と,世田谷さんは川に入ってしまいました。
少しでもはやく先に行きたい思いが強い私には,なかなかできない芸当です。
さくらや旅館で
さくらや旅館ではまたまた青森さんといっしょです。もうひとり,横浜でパン屋さんをやっているという男性といっしょに食事をしました。彼(横浜さん)は,今日の朝,夜行バスで徳島駅に着き,JRで鴨島まで来たそうです。つまり,そのまま藤井寺の登山口に入って,焼き山道を上り,寄居まで下りてきたということです。
「一本杉のところで,眠ってしまいました。しばらく寝ていました」
夜行バスでは寝られません。私も経験がありますが,ほとんど一睡もできませんでした。その後,焼山寺のへんろ道を歩こうなどというのは,ちょっとした無茶であります。わたしにはできません。