おかみさんの心遣い
3時半に宿を出ました。横峰登山道への道はほぼ一本道,迷う道ではありません。日の出までにできるだけ距離を稼いでおきたいと思いました。3時半はもちろん真っ暗です。
それでも,おかみさんには「気をつけて行ってらっしゃい」と声をかけていただきました。
「3つ目の信号を左折ですよ。その後はまっすぐ」
前日にも聞いていた案内をまた繰り返してくれました。
それだけではありませんでした。真っ暗な中を歩くこと40分,携帯に電話がかかってきました。
「栄家ですけれど,コンビニは交差点から50mぐらい右にそれたところに・・・」
きちんと案内しなかったと思われたのです。その心遣いに本当に頭が下がりました。もし,また丹原を訪れることがあったら,絶対に栄家旅館に泊まろうと思いました。
湯浪休憩所で野宿していたおへんろさん
湯浪休憩所までは,整備された舗装道路を上っていきます。横峰登山は,湯浪から一気に変貌します。険しく急坂なへんろ道がここから始まります。
休憩所の中のテントからでできたおへんろさんは,滋賀から来ている同年配のおじさんでした。
ここについてベンチで休憩していると,ごそごそと音が響いたのでしょう,テントが開き,おへんろさんが起きてきました。昨日の夕方ここにきてテントを張ったようです。
「ここはいいよ。きもちいい。今日はずっとここにいて,もう1泊しようかと,そんなこと思うぐらいだよ」
こうやって野宿して回っているおへんろさんを本当にうらやましく思いました。
「水がうまい。クルマで来て汲んでいく人がたくさんいるよ」
湧き水が勢いよく流れ出ていました。普段はチョロチョロなんだと思いますが,台風11号の影響で横峰全体がちょっとした洪水状態になっていました。わたしもその湧き水を汲んできて飲みました。おいしい水でした。こんな静かなところで,誰にも邪魔されなく,おいしい水が飲めたら,そのひとときは最高かもしれません。
「でも,わたしはまだ野宿する勇気がないんです」
そう正直に言いました。
はじめに野宿したときは怖かった
はじめに野宿したのは立江寺の近くだったそうです。徳島の札所19番です。その近くの古ぼけたお堂で野宿したそうです。そのお堂はそこで自殺した人がいるという曰く付きのお堂だったようです。一晩中,気持ち悪い音がして眠れなかったそうで,
「一晩中,経本を開いて意味も分からないお経を読んでいました」
そんなシビアな体験をしたそうです。
湯浪では前回,五年前も「2年間ずっと回っている」という野宿おへんろさんに会いました。その人は東京の人でした。今回と同様わたしと同年配と思われます。そういうおへんろさんに出会うと,野宿をしない(できない)わたしとは決定的な差異があるように感じます。
時間的な余裕? そういう人たちから感じ,私には乏しいと思うのは「時間的な余裕」です。今回であったおへんろさんも
「今日も,ここに泊まろうかな」
湯浪でゆっくりすることを自然に受け入れています。
わたしのへんろと根本的に違うのがそこでしょう。
1時間もあればつくでしょう
湯浪から横峰山頂まで2km,きついルートではあるけれども距離的には長いわけではありません。
「1時間ぐらいでつく」
野宿おへんろさんもそう請け合ってくれました。ただ,台風の影響は少なからずあるようで,
「昨日は,水があふれ,流れ出てしまって,靴を脱がなければわたれないところがあったようですよ」
そんなことを教えてくれました。
「でも,今日は水の勢いが昨日とはずいぶん違うから」
1日違いでずいぶん穏やかになったようです。
流水,流木
そうはいっても流水は至るところにあり,流木はわたしの行く手を何度となく遮りました。
壊れた橋の上に流水がかぶって,水の中を歩かなければならないところもありました。それでも,くるぶし以上に深いところはなく,マギーシューズが水浸しになることがなかったのがせめてもの幸いです。
いちばん厳しいところでは,流された橋の上を四つん這いになって渡りました。
いっぷく
急坂と悪路の連続で20分も上ると息が切れ,汗がだくだくになってしまいます。それでも一歩一歩進めばいつかは着く,そう思って上り続けました。
途中,休憩所があり「ちょっといっぷく」というメッセージが掲げてありました。早くこのきつい上りを終えてしまいたいという気持ちで上り続けてきました。途中きつくて泊まりたいと思っても泊まらずに来ました。でも,このメッセージを見たらふっと力が抜けました。
”いっぷく”は大事です。腰をおろし手荷物を降ろし,靴と靴下を脱いで体を解放してやります。足指を開いて風を通すと気持ちまで静まってきます。
「早く着かなくたっていいじゃないか。いつかは着くんだし」
そんな気持ちになります。
雨が降ってきた
山門を望む,最後の階段を上ろうとするときでした。大粒の雨が頬を打ちました。はじめはなにか分かりませんでした。まったく予想していなかったからです。台風一過,わたしの常識では気持ちのいい青空が広がるはずでした。今年の天気はやっぱりいつもの夏と違います。
横峰って
こんなに苦労して上ったのに・・・・・・,閑散としていて何もありません。それがいいのかもしれませんが,ちょっと拍子抜けします。苦労した分だけ到着地点は豪華であってほしい,そういう気持ちがどこかにありました。
期待は裏切られた格好になりましたが,横峰はこれで,つまり静かな横峰でいいのかもしれません。
青い紫陽花がきれいに咲いていました。
きつい下り(61番奥之院白滝経由コース)
山道を6km近く下ります。上りの湯浪経由コースが山道2kmだったのに比べて3倍です。急な階段だったり,足場の悪い瓦礫道だったり,木々や倒木で行く手を阻まれていたりといったさまざままな悪路が続きます。下っていって尾根道を進んで行くと,なぜかまた上らなければならないといった状況も何度かありました。
「せっかく下りてるのに,どうしてまた上らなきゃならないんだ」
そんなわがままな愚痴が心に沸いてきてしまいます。
宿に荷物を置いて,奥之院白滝コースを往復するのはどうか?
オレンジのザックを背負った女性はこのルートを往復します。前日,今治市の国道196号伝で出会った女性です。彼女は,余分な荷物はビジネス旅館小松に置いて,旅館には連泊することにしたようです。荷物が少なくなる分,楽な登山になるわけですが,わたしはこの往復ルートには賛成できません。
その理由は2つあります。
第1は,このルートが厳しいルートであることです。わたしは2どこのルートで下山しましたが,どんな付加価値があってもこのルートを往復する気にはなりません。湯浪まで整備されが舗装道路で上れる湯浪ルートを上るべきだと思うからです。
第2の理由は,持っていく荷物はそれほど軽減できないと思うからです。野宿をしないわたしの場合ですが,置いておける荷物は軽い物ばかりです。たとえば着替えの下着とか,おふろセットとかです。納経帳や地図は持っていかなければなりません。それより何より重い,水を携帯しなければなりません。
そしてそれらの物は,手で持っていくわけにも行かないので,結局ザックに入れていかなければなりません。
ザックを宿において札所に向かったことがあります。が,手に持ったり,ウェストバッグに縛りつけたりと,結局いろいろな物が収まりにくく,歩きにくかったことがありました。
そのとき,荷物はザックに入れて,きちんと背負って歩いた方が歩きやすいのだと思いました。
宿に荷物を預けておくというのはそれほどのメリットではないように思います。
やっとの思いで
やっとの思いで下りてきました。長い下りへんろ道(山道)は下ったり上ったり,「さっさと下ろしてくれよ」と何度も愚痴を行ってしまいました。何度も愚痴を重ねながら,悪路を下りてきてのきわめつけは,「山崩れの恐れあり。通行止め,迂回ルート→」という看板でした。
予測してなかったルート変更,この先の読めないルート案内は,わたしの心を大きく萎えさせました。
「いつになったら下界につくんだろう」
そんな不安な心持ちでした。
四国八十八ヶ所霊場会
62番「宝寿寺」の納経所には
「本寺は四国霊場会とは関係ありません」と案内が出ていました。どういうことかと尋ねてみました。
「霊場会は任意の団体ですから・・・・・・。考え方の合わないお寺さんは参加されてないところがあるようですよ。ここは,先代のご住職が3年前になくなって,あとを継いだご長男の考え方なんですよ。そのときから霊場会を脱退しています」
ほかにも参加されてないお寺さんがあるのか,と聞いたら,「あると思いますよ」と言葉を濁されました。
「四国霊場開創1200年記念」という赤いお札を,このお寺さんだけいただけませんでした。四国霊場開公式ホームページには宝寿寺の写真が載っていません。
金剛杖の忘れ物
63番「吉祥寺」の本堂の縁の下に金剛杖が重ねて置いてありました。ざっと20本近くあるでしょうか。忘れ物です。立派な彫り物をした杖もありました。きっと,それぞれの杖におへんろさんの思いがこもっているでしょう。
泰山寺に置いてきてしまった杖のことを思い出しました。
あそこだけですよ
納経所で赤い札「四国霊場開創1200年記念」を2ついただきました。宝寿寺でもらえなかった分を代わりにここで配っていると説明されました。
「ご迷惑をおかけしています」
そう謝罪の言葉を言っていただきましたが,わたしはいささかも迷惑は感じていません。みんなの意向に従わないお寺があってもいいじゃないかと思っています。「全会一致」とか「満場一致」はある意味不健全です。
ほかにも霊場会に参加していないお寺さんがあるのかどうか聞いてみました。
「あそこだけですよ」
きっぱりそう言われました。右へならへの87か寺の中,孤立無援で屹立する
宝寿寺を応援したくなりました。
なんか,いい 「たかが,ぶた されどぶたにく」
吉祥寺から出てすぐの国道11号線にあった看板です。肉屋サンの看板ですが,近くに肉屋サンはありませんでした。
豚と豚肉の”ちい”が上手に表現されています。何回か声に出して味わってみました。これ作った人のセンスは素晴らしいと思います。
神社のような前神寺
64番「前神寺」は神社の雰囲気の鯉お寺です。本堂の両袖が鳥の羽のように長く伸びています。”本殿”と言ってもいいような感じです。石槌山のふもとにあって石槌神社と関係が深いからでしょうか。近くに石槌神社の一之鳥居,赤い大きな鳥居もありました。
2年前,高知で出会ったおへんろさんと再会
ここ,前神寺で出合ったときには気が付きませんでした。遠くから軽く会釈をしただけで別れました。
このあと,30分ほど歩いたあと,西条市街に入る手前のコンビニでまた会いました。西条駅前のビジネスホテルで素泊まりの予定だったので,夕食の買い出しに入ったコンビニでした。
入口ですれ違い,わたしが入るところ,彼が出ていくところでした。さっき前神寺にいた若いおへんろさんだな,とぼんやり思い出していました。そのとき,2年前の記憶がわたしの頭の中でヒットしました。大あわてでコンビニを出て,声をかけました。
「まちがってたらごめんね。前に会ったことあるよね」
いきなりのことで彼は,ちょっと戸惑いをみせました。が,彼の記憶も時をおかずにつながったようです。
「高知で会ったよね。何年前だったか」
もう一言声をかけると,彼もすっかり思い出したようです。
「渡し舟のところですね。おととしですか?」
「そう,2年前,いっしょに舟に乗った。思い出したね」
こんな再会があるなんてびっくりしました。お互いに2年前の続きを区切りで打ちながらここに至りました。たまたま入ったコンビニでの再会,そして記憶の蘇り,不思議な,ちょっと感動する出会いでした。
本日の歩行距離 31.5km