へんろ転がしの後遺症
後遺症は全身にあったが,特に右ひざに出た。 疲れは全身に,ダメージはひざに,という感じかな。 ひざのダメージは急な下り坂のせいである。 いっしょに登った人たちも,たしかに上りはたいへんだったけれども,下りの衝撃がつらかったと言っていた。
特に年を重ねると片足で支える時の“ため”がうまく保てないのがよく自覚できる。
若い子たちが飛ぶようにひょいひょいと降りていくのを見ていると,自分もちょっと(?)前はあんなんだったなあと思うが、その隔絶はどうしようもない。 下りの方が片足で支えるパワーは必要なのだ。 上りはパワーはあればあるにこしたことがないが,
なければないで歩幅を小さくして登っていけば非力な人でも何とかなる。右ひざの痛みのためか,全身の疲れのためか,みょうざい旅館までの約20キロメートルはつらかった。
お大師様の助け舟
へんろ道はじつのよく道しるべが整っている。 こっちでよかったのかなあ,という疑問が湧くとたいていその10秒後ぐらいに「へんろ道」という札を見つけて安堵する。
しかし,不思議に思うのは10分15分歩いてもその道しるべが見つからずに,不安と懐疑の頂点に達しようかとする時に,きまって前から地元のおじさんが現れる。
「へんろ道はこっちでいいですか?」と聞くわたしにたいへんていねいに教えてくれる。 やっぱりあれはお大師様なんだろうな。
お大師様の助け舟その2
「17番まで行きますか?17番が終わったら電話してもらえば迎えに行きますよ。」 迎えに来てもらうのは“ずるい”とも考えてみたが,みょうざい旅館の人にそう言ってもらったときには本当に疲れていた。 だから,それはお大師様のお計らいなんだと思うことにした。 そう思うことは間違っているのだろうか?