8月13日(土)

へんろ転がし(焼山寺へ)
へんろ転がし(焼山寺へ)

へんろ転がし 

 「どうしてこんなところに来てしまったんだろう。」と思った。 急な坂路が際限もなく続く。とにかく一歩一歩進める。階段や石を踏みしめ,ゆっくりゆっくり, この歩行が無限に続いてもいいように,ゆっくりと優しく山道を踏みしめる。 しかし急な坂路は、すべてのゆとりを奪いながら,永遠に続くかのように私の前にいつまでも立ちはだかった。「一本杉」に行くまでの上り,とそこからの下り,そあとの「焼山寺」への上り,は死ぬほどたいへんだった。

12番「焼山寺」神山町
12番「焼山寺」神山町

 

へんろ転がしを歩いたみんな 

Aさん(男) 
 埼玉から来た若者。2週間のへんろの予定だと言っていた。 「一日休養日を作ろうかな。徳島駅に,へんろさんを泊めるのが好きな宿があると聞いた。」と言っていた。 東京から飛行機で来て,片道26000円。 後日出会った女の子に聞いたのだが,名古屋からだと24000円だそうだ。 距離に比例というわけにはいかない。飛行機は1回“飛ぶ”ということがたいへんなのだろう。 

焼山寺から寄居へ
焼山寺から寄居へ

Bさん(女)……「一期一会」のところで書いた女性です。 

 神奈川県から来た若い女性。歩くのは速かったけれど・・・・・・。 「素泊まりがいちばん。コンビニで食糧を買い込んで食べるほうがずっと安い。」と教えてくれた。 さくらや旅館がとれなかったので,植村旅館を目指して歩いていった。日が暮れるまでに着けるといいのだが。 

 

Cさん(男) 

 1番札所から一緒だった若者。3番札所に向かう途中で言葉を交わした。 12番焼山寺が終わったら,帰るといっていた。へんろ転がしの登山でいちばん速かった。 

 

Dさん(男) 

 九州から来たおじさん。へんろ転がしの山道に入って追い越され,また,追いつき,いっしょに休んだりと,たびたび出会った。 下山もいっしょにした。13番「大日寺」で韓国の人に放ったEnglishは洗練されていた。 「焼山寺」に登るときに言った, 

「家が多すぎるよなぁ。五分の一でいい。」というのは,言いたいことはわかるが,何で?っとも思う。 「昨日は,へんろ小屋で野宿した。」と言うDさんは熟練のへんろさんだった。 今回で3週目ということで,いろいろなこともよく知っていた。 

「橋本竜太郎は鈴木宗雄の何倍も悪い,・・・・・・。」政治談義も熱っぽく語ってくれた。 

 

Eさん(男) 

 東京から来た田中さん。55歳らしい。 へんろ転がしをゆっくりゆっくり登っていた。 

「あの山道を経験したらもうどこも怖くない。」 

「足がパワーアップしている。」明るく元気にいろいろ語ってくれた。 ジャイアンツファンで,「堀内はだめだ。原はよかった。」と,原監督再任を待望していた。 

 

Fさん(男) 

 東京から来た茶髪の若者,工藤龍太郎さん。 字画を見てもらったら最悪と言われ,「龍」を「竜」にかえて生活し始めたら,運がどんどん向いてきたそうだ。 

「12番焼山寺でEさんとゆっくりし過ぎて,植村旅館までたどり着けず,旅館の車に迎えに来てもらった。 携帯が通じるというのはありがたいことだ。」と翌日大日寺で語ってくれた。……運が向いていたのか,どうなのか。