へんろころがし 1/6
1/6とは,へんろころがしが6か所あってそのうちの1番目という案内でした。初めはなんのことかわかりませんでした。3/6のあたりでその意味に気が付きました。以前来たときにはなかった案内だと思います。
藤井寺からのぼり始めると,いきなり1/6があります。写真の水大師は1/6を超えて少し行ったところだったと思います。水はチョロチョロと出ていましたが,飲めるほどではありませんでした。
「柳水庵では水が補給できます」と旅館吉野の人は言いました。それを期待してさらに歩いていきます。
ルームキーがポケットに
旅館吉野のルームキーを持ってきてしまいました。気が付いたときは登山を始めてしばらく経ったときでした。旅館に電話すると「郵便で送ってくれればいい」と言われました。ここから戻るなんてとてもそんな気になりません。ありがたい返事でした。
クマが心配だったので
杞憂だと思いますが,お鈴を鳴らして歩きました。山の中で出会ういちばん怖い動物は? というジョークの答えは「人間」です。人間ともほとんど会いません。自分の写真はほとんど全部セルフタイマー撮りです。後でトリミングなどしていい絵になるように加工します。
数少ない展望
焼山寺へんろ道はほとんど樹木の中なので景色が展望できるところがほとんどありません。眼下に広がるのは吉野川市だと思われます。
樹木の中は展望はききませんが,日差しをさえぎってくれるので涼しい中で歩くことができます。菅笠は刺さずにリュックにくくりつけたまま歩きました。
さっさと追い抜いていった若者
うしろから「こんにちは」という声がかったと思ったらひょいひょい軽々との
ぼってくる若者がいました。追いつくと気軽に声をかけてくれました。
「3度目の焼山寺なんだそうですね。さっきすれ違った女の人に聞きました」
そう言えば20分ほど前に地元の女性とすれ違いました。散歩がてら途中までのぼっているようです。すごくよくしゃべる女性でした。今日の山道は気持ちがいい,こんなに気持ちのいい風が吹いている焼山寺は珍しい,とその女性は力説していました。今日のぼっているあなたは運がいいと言いたかったのでしょう。
「前回が,12年前だそうですね」
「いや,そうじゃなくて前回は6年前で,12年前は前,前回です」
細かいことだけど訂正しておきました。この若者とはこのあとしばらく縁が続きます。
柳水庵で水の補給は予定どおり
水がペットボトルに溜まると元気になります。直射日光を浴びるアスファルト道路と違って日陰の道は頻繁に水を飲む必要はありません。しかし,なくなったら補給するところがないという怖さも併せもっています。
今日旅館を出るときはペットボトル3本分の水を持ちました。旅館のご主人は「柳水庵で補給できるから,2本あればいいでしょう」とアドバイスしてくれましたが,やっぱり不安だったのです。
結果的にはご主人の言うとおり,2本でじゅうぶんでした。
柳水庵には紫陽花が咲いていました。
焼山寺へんろ道で会った人たち
地元の散歩のおじさん 3人
地元の散歩の女性
歩きへんろの若者
クロスカントリー練習の男女 2組
逆に歩いていったへんろ?
クロスカントリーの練習だと思われる男女はほとんど走る勢いでのぼっていきました。そして,わたしがまだ2/3ものぼっていないところで帰り道になった男女とすれ違いました。若さも体力も違うので当たり前ですが,「彼らは重い荷物を持ってないからな」という点だけがわたしの自負心を辛うじて支えていました。ほとんどの人たちとは1回こっきりの瞬間的な出会いでしかありません。
浄蓮庵(一本杉)のお大師さん
へんろころがしの4/6をのぼりきると突如として巨大なお大師さんが現れます。4日前「前山おへんろ交流サロン」の女性スタッフが
「あのお大師さんを見たいばっかりに苦労して焼山寺をのぼりました」
そんなことをいっていたのを思い出しました。このお大師さんのことは今までたくさんのおへんろさんから聞きました。それだけ印象深いのでしょう。
ここから一気に下る
下りだからといって舐めてはいけません。一気に350m下ります。これがたぶん,へんろころがし5/6だと思います(案内表示を見落とした)。延々と下ります。
「いつまで下るんだ」
そんな気持ちになってもまだ下ります。せっかく貯めた貯金を無駄に吐き出してしまうような気分です。
しかも下りは足を痛めやすいし,転倒して大怪我してしまうこともあります。ゆっくり慎重にあるかなければなりません。
そして,下ったあとはまた一気に300m上ります。これがへんろころがし6/6,つまり最後の試練になります。この坂もきついのですが,「最後だ」ということが希望と元気になります。
そして残り1kmの休憩所
もうへんろころがしは終わり,残り1kmはダラダラとした,さほどきつくない坂を上るだけです。ここに来ると終わったという安心感に包まれます。
焼山寺で若者に再び会う
焼山寺に着いたのが11時30分でした。藤井寺を出発したのが6時10分ぐらいナので5時間20分の登山でした。前回(6年前)とそれほど変わっていないと思います。
さっき追い越していった若者に出会いました。いつ着いたか聞くと,
「1時間ぐらい前でしょうか。これから植村旅館まで行くんですけど,早く着きすぎちゃいますよね」
さすがに早い。6時半ごろのぼり始めたとして,着いたのが10時半だとしたら4時間です。
今日のわたしの宿も植村旅館です。そこから話がいろいろと繋がっていきました。
「霊山寺でいっしょだった人も植村旅館だと言ってました」と若者が言えば,わたしも,
「昨日いっしょの宿だった人が植村旅館だと言ってました」
それは同じ人じゃないか,ということになりました。年配で,メガネかけていて・・・,など風貌も共通していました。
納経と昼食・休憩で約1時間
昼食は旅館吉野で持たせてもらったおにぎり2個と,パン1個を食べました。1時間経って12時30分。その時間になっても吉野でいっしょだったおへんろさん(新宿さん)はのぼってきません。もうちょっと待ってみようかとも思いましたが,植村旅館までの道のりが心配だったので出立することにしました。
焼山寺は3回目ですが,植村旅館に行くのは初めてです。
へんろころがし7/6
へんろころがしは終わったと思っていましたが,もう1個ありました。
鍋岩からへんろ道に入っていきます。はじめはアップダウンの少ない楽な道のりでしたが,車道に出る手前によじ登るような急斜面の道がありました。
「上の車道まで600m」という案内表示に導かれてのぼっていったら,延々と続く急坂でした。質・量ともに焼山寺のへんろ道に劣りません。
「これは7個目のへんろころがしだ」
車道には永遠に着かないのじゃないかと思いました。
地獄から極楽
やっとの思いで車道に出ると,小さな小屋がありました。女性が掃除をしていました。仏様が祀ってあって定期的に来て掃除をしたり,供え物をしたりしているようです。
ここでもおしゃべりできたことが元気回復の大きな力になりました。直前のとんでもない急坂への不満を,思い切りぶちまけられたことが元気回復に繋がったのでしょう。
水道が引いてあり,水もたっぷり補給することができました。女性はふかした金時イモをざるで持ってきて,
「よかったら食べてって。さっき来た若い子は3本も食べてった。あとから二人来るからよろしくと言ってましたよ」
人のことを気遣うことができます。まだ若いのに・・・・・・,すばらしい。
まだ息があがっていて3本はとても食べられそうもないので,1本だけいただきました。そんなおしゃべりを続けていると,ハイキングで歩いている若者がやってきました。そして,道路の草刈りをやっていた地元のおじさん3人が軽トラックでやってきました。おじさんには栄養ドリンクをもらいました。さらに元気が蘇ってきました。
さっきは地獄,ここは極楽です。
植村旅館で
下りの車道をおよそ5km,4時に旅館に着きました。途中で雨が降ってきましたが,そんなに強い雨ではなかったので合羽を出さずに歩ききりました。弱い雨だったら周囲の木々がけっこうな雨よけになることが分かりました。
植村旅館はへんろ宿らしい親切な宿でした。洗濯は全部接待でやっていただきました。洗濯をお任せしたことを忘れていて,気が付いたら洗濯物が部屋に畳んでおいてあったのでビックリしました。
植村旅館でいっしょだった人
・ 昨日,吉野でいっしょだった新宿から来たおへんろさん(以下,新宿さん)
・ 焼山寺へんろ道で追い抜いていった清瀬市から来た若者(以下,清瀬くん)
予想どおり清瀬くんが言っていた人は新宿さんでした。夕食のときにあらためて自己紹介をし合い,いろんな話をしました。
新宿さんは焼山寺到着が遅れて植村旅館まで歩くのを断念,旅館に連絡して迎えを頼んだそうです。今朝,吉野を出るときあまりにゆっくりしているので大丈夫かなと思いました。わたしは,とにかく早く焼山寺を打って,ゆとりをもって植村旅館に着きたいと思っていたので,できるだけ早く出立しました。
(のんびりしているけど大丈夫かなあ)
新宿さんからはそんな緊張感が感じられませんでした。
「旅館について時間があったので,下の川で泳いできた」
そんなビックリするようなことを言いました。清瀬くんは若くて体力が有り余っています。彼もへんろは今回が初めてですが,通しで回ると意気軒昂です。ひょっとしたら,今日植村旅館で止まらずに歩けば,およそ10km先の13番「大日寺」まで行けたかもしれません。
さて,このとき台風5号が四国をめざして漸進していました。「徳島は,明日は台風のまっただ中」というのが大方の予想です。明日はどうするかが当然話題の中心になります。
「雨だけだったら大丈夫なんだけど,風がどれだけ吹くかですね」
たぶんほかの二人も似たような思いだと思っていました。