8月2日(水)

ー88番 大窪寺で足止めー

 

休養日 道草へんろ

 

 今日の宿は88番大窪寺の門前です。距離は15.3kmしかありません。はじめの計画では,もう10km先の白鳥温泉でした。そこが休館日でとれなくて,やむなく大窪寺で止まることにしました。

 ゆっくり歩いても昼前に着いてしまいます。道草しながら行くことにしました。

 

丁石道へんろ道と女体山へんろ道

  

 87番から88番へは結願ルートになりますが,今回のわたしは結願というわけで

讃岐平野
讃岐平野

はありません。たんに87番→88番で,次は88番→1番となるだけです。

 結願ルートは2本あります。登山しながら修行気分が味わえるのが女体山ルートです。前回はこのルートで結願しました。頂上からはすばらしい景色のご褒美がありました。もうひとつは昔ながらのへんろ気分が味わえる丁石道ルートです。舗装道路ですが閑静な山道をゆっくり登っていきます。山道なので木陰が多く暑さもしのげます。前々回はこのルートでした。

 3度目の今回は丁石道ルートにしました。ルートのほとんどは木々にさえぎられ展望できるところはありません。写真は峠にさしかかる少し前,眼下に広がった讃岐平野を写したものです。讃岐平野の特徴である小さな山がいくつか確認できます。

 

 

マギーシューズ

 

 前山おへんろ交流サロンでスタッフの女性と1時間近くおしゃべりしました。

 簡単なあいさつが終わったら女性がいきなりこう聞いてきました。

「もう何回も回られてるんですか?」

 どうしていきなりそう思われたのか不思議だったので聞いてみると。

「マギーシューズを履いてるのを見て,ずいぶん以前からお遍路をなさってるのかなと」

 マギーシューズ恐るべし,です。たしかにへんろの世界では有名な靴です。埼玉のメーカーでへんろ好きの社長さんが自らの体験を生かして作った靴です。わたしは10年前に購入し,ずっと使い続け(へんろのときだけ)ています。

「ちょっと前に社長の田尾さんがいらっしゃったんですよ」

 あいかわらずへんろは続けられているようです。ただ,靴のほうは数年前に生産中止になってしまいました。優秀な靴ですが需要が限られ採算がとれなかったのでしょう。

 わたしの靴もほぼ2周歩いたことになります。ずいぶん傷んできました。いつまで使えるでしょうか。

 

焼山寺もきついけど屋島も勝るとも劣らない

丁石道ルートの休憩所
丁石道ルートの休憩所

 

 スタッフの女性も歩きへんろ経験者です。へんろころがしはどこがきついかというおしゃべりになりました。定番は焼山寺登山ルートです。多くの人が1番にあげるでしょう。

 でも,わたしには屋島の坂道を推奨しました。前日に歩いたばかりだったので生々しい記憶が蘇ってきました。

「わたしは以前あのふもとに住んでいたんですよ。あの坂は半端ではありませんね。ただ,地元の毎日のぼっている人は,30分でのぼってしまいますよ」

 そうです。わたしが死にそうな足取りでのぼっている横を老若男女さまざまなひとがスイスイ追い越していきます。その姿を見ると敗北感で崩れそうになりますが,わたしはあなたたちと違って重い荷物を背負ってるんだというのを心の支えにしておれそうな心を何とか支えました。

 

宿坊に断られて,切幡寺経由ルートを断念,大坂峠ルートに

 

 88番から1番に行くルートも2つあります。88番→10番→1番というルート(切幡寺経由)と,88番→引田→1番のルート(大坂峠経由)です。切幡寺経由のほうが下りばかりだし距離も短い。サロンの女性はこっちを勧めてくれました。前2回でわたしも両方のルートを歩いているので大坂峠のきつさは知っています。その先のことを考えてもここであまり無理をしないほうがいいかなという気持ちになりました。

 交流サロンからほぼ1時間歩いたところに休憩所があったので休憩がてら切幡寺経由ルートの宿泊予約の電話をしました。第1候補は7番十楽寺宿坊です。「最近改装されてきれいになったそうです」とはサロンの女性からの情報です。第2候補は6番安楽寺宿坊です。ここは温泉があり,以前泊めてもらったことがあります。

 ところが,十楽寺も安楽寺も見事に断られてしまいました。

「この時期はほとんど宿泊がないので,休館にしています」

 と,つれない返事でした。お寺さんなら採算度外視で泊めてくれるだろうと思い込んでいたわたしが甘かったようです。

 そんなこんなで大坂峠経由ルートに決め,引田の翼山温泉に泊まることになりました。

 

電動アシストつきの自転車を引いてのぼってきたおじさん

 

 2つ目の休憩所でおじさんとおしゃべりしました。何と言っても今日は時間にゆとりがあります。無駄に時間をつぶしてくれる人を捜していると言ってもいいぐらいです。たっぷりお話ししました。

「バッテリーが切れちゃった」ので坂道を引いてのぼってきたそうです。大窪寺まで行って今は家に帰るところでした。ひとり暮らしだから家にいても何もないから毎日あちこちのお寺を回っているようです。

昨日は八栗さんに行ってきた」

「わたしも昨日八栗寺に行きました。ちょうどご住職の講和があり,お接待があるので参加しないかと勧められましたよ」

「ああ,あれは毎月1日の日にぜんざいを振る舞ってくれるんよ。それ目当てに行く人もいる」

 わたしは昨日は時間にゆとりがなかったので参加しませんでした。今日だったらぜんざいでも何でもゆっくり食べてやろうと思いました。

 

食事処「竹屋敷」
食事処「竹屋敷」

先のことは分からない

 

 おじさんとたっぷりおしゃべり,たっぷり休憩して,「さあ歩くぞ」と勇んで歩き始めて1分。曲がり道をひとつ曲がったら,その先に,うどん屋がありました。竹屋敷という名の食事処です。分かってたらここで休憩したのに。

「ここでまたゆっくりしていこう」

 今日は時間にゆとり,心にも余裕があります。天ぷらうどんを食べました。温かいものがおいしい。温かいものを体に入れると元気になります。

 ゆとりのへんろで痛んでいたからだが少しずつ恢復していきます。

 

最初のへんろで買った菅笠

 

 菅笠が少し壊れたので,つまようじを借りて修復して出発しました。ただ,この菅笠,翌日に本格的に壊れ修復不能になりました。12年前に買った相棒の最後の姿です。

 

88番「大窪寺」
88番「大窪寺」

15kmを7時間かけて

 

 竹屋敷から大窪寺まで約2kmちょっと,普通に歩けば30分で着いてしまいます。竹屋敷を出たのが午後1時ですから,1時半に着いてしまいます。この残り道をさらにゆっくり歩かなければなりません。

 といってもまわりは田んぼと山と畑ばっかりで時間がつぶせるようなものは何もありません。ゆっくりゆっくり歩いたつもりだったのですが,1時40分に大窪寺に着いてしまいました。

 大窪寺ではしっかり,またまたゆっくりお経をあげました。宿は寺から1分未満。2時に宿につきました。

 朝7時に出発してから約7時間。15kmを7時間もかけて歩いたのは初めてです。

 

民宿「八十窪」の風呂
民宿「八十窪」の風呂

昼間っから風呂

 

 こんなに早く着いたのにさっそく風呂に入れてもらいました。そのあと夕食の6時まで部屋でごろごろと休養という名の体のメンテナンスです。

 風呂は大きく,体をしっかり伸ばしてはいることができました。宿に入っていちばんの楽しみは何と言っても入浴です。野宿に踏み切れない大きな理由が入浴です。疲れた体を湯に入って癒やすことができるかできないかはたいへんな違いです。

 昼間っから天国気分を味わいました。

 

本日3度目のおしゃべり

 

 3度目のおしゃべりは民宿のおかみさん(85歳のおばあちゃん)です。といってもほとんどおかみさんのひとり語り,おかみさんの凄まじい話をいっぱい聞きました。

 

娘17歳の口減らしへんろ

 

 17歳のときに1人で遍路に出された。昭和25年の話です。米3升を背負わされ、でっかい水筒を持たされて,金は母親が下着に縫い込んでくれたそうです。 

 

「一回りして高野山行ってくるまで帰って来るな。帰って来たら嫁にやってやる」

 母親からそう言われ,

「これは口べらしだ。死んでこいということだ」

 おかみさんは思ったそうだ。当時,体の弱い子はそうやって口べらしされることが,貧しいこの地方ではあったとか。おかみさんの父親ははやくに死んで(戦死),いわゆる母子家庭です。生活にゆとりはなかったでしょう。

「自分はもらいっ子かもしれない,要らない子だからへんろに行けと言うんだ」とも思ったそうだ。

 それでも結願して戻って来ると 

「お母さんは大泣きしてくれた。本当の子だったんだ。そう思ってうれしかったよ」 

おんやどと出ている家で米一合出すと泊めてくれるんよ。怖いから交番の横で野宿したこともあった。和歌山港から高野山までも野宿しながら歩いた。2か月半かかった」

 

 昔のへんろは「体の弱い人か乞食」ばっかりだったそうだ。大窪寺にも病人やけが人がいつもいて近所の人は皆手伝いに行った。松葉杖とかベッドとかそんなものばっかりいっぱいあったと言います。野垂れ死にする人もいて,村中の人がでて葬式をあげて葬ったそうです。

 

職がない,嫁のきてがない。ダムより上はみんなそう

 

 

 「だから,ここらあたり空き家がどんどん増えている」

八十窪おかみさん手製 ズッキーニのからし漬け
八十窪おかみさん手製 ズッキーニのからし漬け

 

 過疎の厳しい現実があると言います。

「わたしが通っていた小学校もなくなった。今年はこの地区で小学生が4人だったそうだ。長尾の小学校に統合で送迎バスで通学している。わたしの小学校は天体望遠鏡の博物館になっちゃった」

 そう言えば途中にそんな施設がありました。建物を見れば学校だったことは明らかです。

 

知多新四国は100円

 

 初めて回るときは墨で書いてくれるから300円でもいいと思うけれども,2回目からはハンコ3つポンポンポンと押すだけでやっぱり300円,あれは高すぎるとおかみさんは言います。

「ハンコだけなら100円でいい。愛知には100円で回れるとこがある」

 そう言っておかみさんは知多新四国の納経帳を見せてくれました。わたしの地元ですから当然知っています。回ったこともあるし納経帳も持っています。あんなローカルな新四国のことをこんなところで知っている人がいるなんてちょっと驚きました。

 ちなみにわたしもポンポンポンで300円は高すぎると思います。

 

ズッキーニのからし漬け

 

 夕食の最後におまけでおかみさん手製のズッキーニのからし漬けを出してもらいました。これがたいへんおいしかったので作り方を聞きました。レシピメモを見せてくれたので,さっそく写メを妻に送りました。

 

 おかみさんの話は止め処もなく続きます。「それじゃ,お休みなさい」とわたしが言わなかったら何時まで続いていたか分かりません。