8月13日(金)

雅空さん

 

 朝,一富士旅館の女将さんに写真を撮ってもらって出発しました。

 前日から連絡ととっていた雅空さんの家に寄ることにしました。雅空さんはミクシーで知り合いになった先達です。実際に遇うのははじめてでした。へんろ道の国道11号線沿い,高瀬町にご自宅があります。ミクシーのメッセージで詳しい案内をもらっていたので難なくわかりました。

 玄関先でのわずかな時間でしたが,いくつかわからないことを教えていただきました。

「本来88番で終わりです。1番のお寺さんは自分のところに来て欲しいから,最後にお礼参りというんですが,お礼参りなら高野山でしょう。」

「88のお寺はみんな同格なんです。1番だけ特別ということはありませんよ。1番以外のお寺さんはちょっと憤慨しているようです。」

「今日は善通寺までなら余裕です。ぜひ番外の禅定捨身ヶ岳まで行ってください。73番から一気に400m上るんです。すごい坂ですよ。」

 帰り際にお孫さんに写真を撮っていただきました。

 「国道はよけて,できるだけ旧道を歩いた方がいいよ。」

本当にその通りですね。

 

平地だけど山の上

 

 讃岐平野はちいちゃな山がいっぱいあります。ほとんど高低差のない平野を歩くことが多いのですが,いざお寺となるとたいていは山の上にあります。71番「弥谷寺」もそうでした。近くまで来て上り,その上りがちっとも終わりません。そして間近になって鬼のように続く階段,煩悩にちなんだか百八階段なるものもありました。

 ここで善通寺で知り合いになったTさんと始めて出会いました。

「本堂は階段の向こうですよ。」

 弥谷寺は山門から本堂に行くまでも,階段また階段。つくづくお寺さんの階段好きには閉口します。

 住職が小僧さんに言いつけます。

「追いちょっと本堂に行って,わしの入れ歯をとってきておくれ。」これだけでちょっとした修行になります。

 

 雅空さんからすすめられた俳句茶屋は山門の手前にありました。声をかけてみたのですが中から返答がありません。まだ営業前だったのでしょうか。

 

地図ではわからない

 

 一富士旅館からの12㎞は思ったよりたいへんでした。山は実際に来てみないとわからないからです。ふもとまですいすい来ても問題はそこからです。2時間弱,9時半には到着という予定なんか吹っ飛んでしまいます。

 世の中自分の都合では動いていないんだなと「自分の身勝手」を反省することになります。「その時になってみないと,そこに行ってみないと,何があるかわからない」そういうことでしょう。明日,明後日の予定を立てることは無意味かもしれません。その日にはその日の最適な過ごし方がある,本当はそうかもしれませんが,わたしの煩悩はまだまだそんなに泰然自若とはしていません。

 

履き物を脱いでお上がりください

 

 弥谷寺の大師堂では珍しく土足を脱ぐように案内されていました。しかも入り口が正面玄関というよりは勝手口,脇の階段を上ったところにありました。本堂が階段をいくつも上ったところにあるのも,これも,山の上に無理をして造ったからでしょうか。

 

竹藪を抜けて山の中

 

 山の中のへんろ小道は涼しくていいのですが,蚊に刺されたり,いきなり虫が飛んできて顔に当たったり,小さな生き物がいっぱいです。まさに多様な生物が棲息しています。こんな虫たちだけなら「うっとおしいなあ」で済みますが,怖いのはマムシです。マムシでなくても普通のヘビでもびっくりします。

 足下が怖いのですが,足下ばかり気にしていては気にぶら下がっているへんろ道案内を見落としてしまうおそれがあります。

 そんな時に役立つのは金剛杖です。お大師様である金剛杖を足下で振り回し,草をかき分けながら進んでいきます。お大師様をそんな使い方していいのだろうか,とちょっと思いながらです。

 

ホテイアオイ

 

 これはホテイアオイでしょうか。池の半分ぐらいを埋め尽くしていました。うす紫色のきれいな花です。ウォーターヒヤシンスともいうそうです。(インターネットで調べました。違う花かもしれません。)

 風のない穏やかな日でした。(暑さは写真には写りませんが)鏡面状態の水面が山や木を映しています。

 拡大するとこんな感じです。真ん中のほのかな黄色が怪しい雰囲気を醸し出していると思いませんか。幽界の炎のようです,といったら言い過ぎでしょうか。

 

イチジク

 

 72番「曼荼羅寺」の境内では,イチジクの店が出ていました。ひと山(3〜4こ)300円でした。半分で150円だったら買ったと思います。でも,見ていると久しぶりにイチジクを食べてみたくなりました。

 

 73番「出釈迦寺」までは上り坂一本道,坂の上の方からは善通寺市でしょうか,遠く市街地が見渡せます。坂の真ん中ほどで再びTさんと出会いました。Tさんは下りてくるところでした。

「今日は善通寺でゆっくりします。足を痛めてしまいました。善通寺の温泉にゆっくりつかります。」

 

 

 

禅定捨身ヶ岳

 

 73番の奥の院「禅定捨身ヶ岳」に行くことにしました。納経所の副住職にいろいろ聞きました。

「行って帰ってきて1時間半ぐらいです。すごく急な坂ですよ。途中にいい湧き水がありますよ。」

 納経所に荷物を預かってもらい出発しました。「裏から出て,電線が張ってある方に進んでいってください」といわれたとおり歩いて上りました。本当にとんでもない急坂でした。まっすぐ上れないので,道幅をいっぱい使いジグザグに歩いていきました。カメラを落としたらどこまでも転がって行ってしまうぐらいです。

 「柳の水」と銘打たれた湧き水はかつて飲んだことのないほどおいしい水でした。暑さと奪われた体力の大きさに比例しておいしくなるのかもしれません。

 鎖を伝わって「身投げ」したというところまで上りました。それより上にも道が続いていたので上へ上へ上っていき,頂上まで行きましたが,何にもありませんでした。ただ,途中に紫のかわいい花がありました。リンドウでしょうか。

 「高所恐怖症のひとは下りるとき怖いかもしれません」と副住職さんは言われました。もちろん落ちたら命はありません。そう思って緊張しているためか,いわれるほど怖くはありませんでした。ただし,本当に厳しいところは四足動物になりきってそろそろ通りましたが。

 

善通寺まで行けなくなっちゃうな

 

 出釈迦寺まで下りてきたらGさんが山門をくぐってきました。

「上に行ってきた? さっき地元のおばさんに,すごくいいと聞いてしまったよ。」

「行って帰って1時間半というところですよ。」

「善通寺まで行けなくなっちゃうな。でも行かないと後悔するよね。」

 あのあとGさんは捨身ヶ岳に行ったのだろうか。善通寺ではもちろん,そのあともついに会えませんでした。

 

甲山寺はまっすぐだよ

 

 交差点で方角と現在地を確認していたときでした。いきなりクルマが止まり,

「甲山寺はまっすぐでいいんだよ」と教えてくれました。迷っているように見えたのでしょう。実は迷っていたわけではありませんでした。途中の郵便局を目指していたのに通りすぎてしまいました。その郵便局を探していたのです。

 でも,ありがたいことです。おへんろさんが困っていると,いつもどこでもだれかが助けてくれます。

 甲山寺は珍しく高低差のない平地のまっただ中にありました。

 

昔ながらの駄菓子屋

 

 甲山寺からそのまま善通寺市街地へ向かい,町中に入ると善通寺参道に向かいます。善通寺の門前に昔ながらの駄菓子屋がありました。

 善通寺は大きなお寺でした。街路をはさんで右側が御影堂(大師堂)左側が本堂と別れていました。知らずに先に御影堂の境内に入りました。さて,本堂はどこかと頭をめぐらしてみましたが,どこにあるかわかりませんでした。一度山門を出て,街路の反対側の境内にあったのですが,はじめてでそのスケールが把握できていなかったのです。

 

善通寺と前衛芸術

 

 本堂には前衛芸術が展示されていました。外国人の芸術家の作品らしいのですが,善通寺とどんな関係があるのかわかりませんでした。しかもきわめて前衛的な作品ばかりで,はたしてお寺の展示物としてふさわしいのかどうか,わたしの理解を超えていました。

 

五本の筋塀

 

 五本の線は格式の一番高いお寺だそうです。金閣(鹿苑寺)や法隆寺,東大寺はみんな五本線です。さすがに空海誕生のお寺善通寺も格式では最高格なんですね。五本の筋塀に五重塔がよくマッチしています。

 わたしの近所のお寺では,東郷町祐福寺の勅使門が五本線だったと思います。

 

 

善通寺宿坊

 

 ホテル並みの宿泊施設でした。きれいで大きく必要なものはほとんどすべてそろっています。しかもお風呂は温泉の大浴場です。これで5800円は安い。善通寺周りの民宿が軒並み廃業に追いやられているという風評もうなずけます。ただし,部屋にテレビはありませんでした。

 夕食は食道でその日の宿泊者全員で食べました。家族連れの3人と若い夫婦(だと思います)と歩きへんろのTさんとわたしの7人でした。

 Tさんは71番で出会った人です。東京の日暮里の住まいで,飛行機で来たそうです。今回のへんろは明日で区切りということでした。三角寺と雲辺寺の両方を同日で打ったので,足を痛めてしまったようです。もっぱらわたしはTさんと話をしていました。他の5人は私たちの話に遠慮したのか,静かに膳を進めていました。少し申し訳なかったかなと思っています。

 「宿がその日でもとれるというのがいいよね」とTさんは言われました。が,わたしとしてはもしとれなかったら,ということをいつも考えてしまい,前日か前々日には必ずアポを取るようにしています。そんなことでもまだまだ煩悩が捨てきれないのです。

 「愛知県にもミニ四国があるんですよ」と,知多新四国の紹介をしました。Tさんには興味深く聞いていただけました。でも,知多半島と渥美半島の理解が曖昧でした。「三島由紀夫の潮騒の舞台になったとかいう・・・」それは,知多ではなく渥美の沖なんですけれどね,しかも舞台の神島は三重県です。

 食事のあとロビーに知多新四国のパンフレットが置いてあるのを見つけました。翌日朝食の時にTさんにプレゼントしました。快く受け取っていただきましたが,Tさんが知多を訪れるとは,まあ,思えません。

 それにしてもわたしとTさんの食べるスピードの違いに今更ながらびっくりしました。圧倒的にわたしが速い,わたしの食べ物がほとんど残っていないのに,Tさんはまだこれからご飯に手をつけて本格的に食べようか,というところでした。この早食いのわざは,まさに学校給食で培ったものです。