8月14日(金)

この先しばらく一緒に歩いたMさん
この先しばらく一緒に歩いたMさん

京都から来たMさん

 

 「初めておへんろさんに出会えてうれしい。」と素直にいってくれた。国道の自販機の前で休憩していたMさんである。40歳ということだが,年よりはずっと若く見える。長珍屋で一緒に夕食と食べたとき,隣に座った自動車遍路のおばさんから,「大学生?」といわれて恥ずかしそうに否定していた。このあと3時間ほど一緒に歩くことになり,そのあともたびたび出会うことになった懐かしい人である。

 

三島神社からのへんろ道

 

 国道をショートカットするようにあったへんろ道,どこよりも急坂できついへんろ道だった。距離的に短かったからよかったものの,足が滑ってしまうほどの急傾斜の所もあった。 

 

「畑峠越えの型にご注意」

 

 「無駄な上り下り,1時間半は余計にかかります。」の注意札。自動車道へ行きなさいという指示である。へんろ道にこだわっていたMさんも一緒に自動車道に行くことになった。

 オウム事件の話,阪神淡路大震災の話などとりとめのない話をしながら,しばらく国道を歩いた。この二つが同じ年に起こった出来事であり,あれからもう14年も経っているんだ,あらためて“時”というものの不思議さというか,奥の深さというか,そんなものを感じた。

農祖峠
農祖峠

 

農祖峠と鴇田峠

 

 農祖峠(のうそのとうげ)

 これが?

 峠道としてはまったくたいしたことのない道だった。へんろ道入り口からずうっと車も通れるような道で上り,最後の100m程,少し急な山道(けもの道)があっただけである。下りの方はけもの道がしばらく続き,濡れた橋のところで滑って転ぶ,という聞きもあったが,しょせん下りである。(44番「大宝寺」で再会したO君も橋で滑ったと言っていた)

 Mさんはもう一つの峠道「鴇田峠(ひわたとうげ)」を越えることになって2人は分かれて峠道を進んだ。人間は二つのことを同時には経験できないのである。自分の選択が良かったのか悪かったのか永遠にわからないということでもある。

 標高差からいえば鴇田峠の方が険しそうであり,事実そうだったのだろう,Mさんは,44番「大宝寺」に1時間近く私より遅れて到着した。

大宝寺裏のへんろ道
大宝寺裏のへんろ道

 

44番「大宝寺」

 

 久しぶりの札所,久しぶりのお参りだったという言い訳をしておく。輪袈裟をするのと数珠を手にとるのを忘れてお参りしてしまった。私のお参りは結構いいかげんで,ろうそくも線香も気分次第,納札は面倒だから入れないことが多いなど,ちゃんとやっている人から見たら,何という不届き者,ということになるだろう。般若心経だけをさっさと唱えて次,というときもある。

 それに比べてMさんのお参りは始終ちゃんとしている。何かが,根本のところで私とは違う,会話のなかからもしばしばそういうことを感じた。Mさんという鏡を通して,少し“私”が見えてくるかもしれない。

野宿で回っている青年
野宿で回っている青年

 

野宿で回っている若者

 

 あまり話す機会がなかったがずうっと野宿で回っているという若者がいた。山道をゴム草履で闊歩していくのには驚いた。47番「八坂寺」で出会ったとき

「きのうは久万高原町の役場のバス停でした。蚊に食われちゃうのがいかんです。」といいながら,腕や足に薬を塗っていた。45番「岩屋寺」では,大迫力の般若心経を聞くことができた。この人も,こんな若者でも,私のレベルを超えている人のように見えた。出会うたびに自分が,自分が住んでいる世界が,小さくなる思いがする。

 

八丁坂に入るへんろ道で休憩
八丁坂に入るへんろ道で休憩

 

車に乗ったお大師さん

 

 へんろ道の札が曖昧だったりしてちょっと道を迷うときがある。そういうときによくお代試算があらわれるのは,そう思うだけの気のせいなのだろうか。

 「そっちのたんぼ道に行った方がいいよ。こっちでもこの先で一緒になるんだけれど,へんろ道の方が涼しいからね。まっすぐ行ったらいいよ。」

車の助手席からわざわざ顔を出して声をかけてくれた。

 あとで聞いた話だが,O君はへんろ道の入り口がわからず,ずっと先まで歩いてしまい,戻ったそうだ。やっぱり,あれはお大師さんだった。

八丁坂入り口
八丁坂入り口

 

八丁坂

 

 八丁坂の案内板に,”2800mの坂道”とあるので,1丁は350mということになる。一気に上って,だらだらと45番「岩屋寺」まで下る,上りも下りも併せて“八丁”ということなんだろうか。

 愛知県岡崎市に「八丁味噌」の郷というのがある。なぜ八丁かというと,味噌造り屋が,岡崎城から八丁の距離にあったから,ということだそうだ。確かにだいたいそんな距離である。

 八丁坂,もちろん上りはきつかったが,下りが思ったより長かった。しかも岩屋寺の手前で下りていく急坂が瓦礫の道で足の裏は痛くなるは,膝に負担はくるはでたいへんだった。

 へんろ道のはじめでは,余裕で岩屋寺に着けるとゆっくり歩いていたが,ちっともつかない。結局間に合わないかもしれないという時間になってしまい,瓦礫の道を,負担や危険を顧みず半分走るようにして下りなければならないことになってしまった。

 地図の距離を無条件に信じてはいけない。

45番「岩屋寺」の大岩
45番「岩屋寺」の大岩

 

O君とMさんと私,3人で

 

 45番「岩屋寺」,5時すぎてMさんが現れた。納経の締め切り時間を過ぎている。

「大丈夫です。八丁坂の途中で,間に合わないと思って,ここの納経所に電話しておきました。待っていてくれるそうです。」そういう手があったか。

 3人で一緒に出ようかということになって,二人してMさんのお参りが終わるのを待つことになった。これが,長い。きちんとやらなくてはいけないという思いが強いMさん,二人が待っているからといって省略するということが一切ない。私はここから3kmほどの古岩屋荘に宿がとってあるからいいのだが(Mさんも同じ),O君はここから9km先の大宝寺前まで戻らなければならない。しかも夕食は8時半までと言われている。

 そういう状況でもMさんは慌てるとか急ぐということがない。この人も私とは違う,私の世界を超えた人なんだろう。

 7時10分に古岩屋荘でわたしたちと別れたO君は夜道の県道を走っていくことになっただろう。8時半に間に合ったのだろうか。

45番「岩屋寺」の大岩と石仏
45番「岩屋寺」の大岩と石仏

 

「荷物は心の迷いを表していると言います」

 

 それを,Mさんが教えてくれた。

 まだ1度も使っていない下着の替え,雨合羽,デジカメの三脚,救急用品,などなど持ってこなくてもよかったかもしれないという者がたくさんある。

 でも,そういう者をいっぱい背負って歩くのがへんろであり,人生なのかもしれない。合羽場必要な雨は降らないだろうとわかっていたら,合羽は持ってこない。同じように,この先の人生がわかっていたら,“努力”などという無駄なことは一切しないだろう。わからないから無駄も背負っていく,わからないから無駄な努力をする,そのことそのものが人生である,と考えるしかないのだろう。

 「どうしても明日の天気を心配してしまうよね。そんなこと自分が心配してもどうにかなるものじゃないのにね。」