8月15日(日)

白峯登山

 

 ペットボトルと携帯食を持って登山開始です。81番「白峯寺」,82番「根香寺」を打ち終わり,下山するまで食糧の補給は期待できません。水ぐらいは何とかなりそうですが,ペットボトル2本の水は無駄にはできません。

 原色の派手な色で塗り分けられたファッションホテルの横から遍路道に入ります。2㎞の余アスファルトの小道を進んだ後,登山口に至りました。階段状になった急な坂道を上っていきます。

 

休憩所からの眺望


 1時間ほど上ったところに展望が開けた休憩所がありました。そこで地元の人4人といっしょになりました。

「わしらはいつも朝ここまで上るんだわ」

「頭からかぶると気持ちいいよ」と勧められ,湧き水を頭からぶっかけてもらいました。

「さすがへんろさん,速いね」途中で追い越したおばさんにほめていただきました。どんなことであれ,ほめてもらうのはうれしいものです。

「わしらは,このあと下りて朝飯だよ。へんろさんはたいへんだね。」

「ここを上がってすぐ左へ,1キロほど行ったら遍路道になるよ。県道でも遍路道でもどっちでも行けるけど,遍路道は自衛隊の敷地の中だよ。」

 ていねいに案内していただきました。

 

自衛隊

 

 「Keep Out」の柵の横を歩いていきます。そして,どこでどうなったかわかりませんが,いつの間にか柵の中に入っていました。そのうち県道にぶち当たり,県道に出ることになったのですが,ほんの一瞬とはいえ自衛隊の敷地内に入っていると知ったときはドキドキしました。

下乗石

 

 下乗とは「どんなに偉い人であろうともここから先は馬を下りて歩け」という命令だそうです。白峯寺の手前の遍路道にありました。ほんとに下りたかどうかは,誰も見ていないとわかりません。わがままいった"貴人"もきっといたと思います。

 

大師堂は長い階段の上

 

 まったくもってどこもお寺は階段の上です。"高い"ということは格式を現すのでしょうか。足の悪い,車いすに乗ったおばあさんが階段の下で般若心経を唱えていました。上に上がれないのです。それでもおばあさんは熱心に唱えていました。

 

 日陰でお茶を飲み,グミとピーナッツを少し食べました。ピーナッツは非常用の携行食としては一級品だと思います。最初のへんろのときから必ず携行しています。初めてのときはチョコレートも携行していましたが,これはいけません。暑さで溶けてどろどろになってしまいます。カロリーが高いのでへんろの案内本には紹介されていましたが,夏はやめた方がいいでしょう。

 グミは今回のへんろの途中,スーパーマーケットで買いました。これが意外においしい。そして携行にも適しています。

陸軍用地

 

 白峯寺から根香寺にいたる山の中の遍路道に「陸軍用地」という置石がありました。今はもうない陸軍でありますから,60年以上もほったらかしになっていることになります。一つだけでなく,見つけたものだけで3本ありました。

 考えてみれば,こんな山の中の小道には自動車もリヤカーも入れません。すべて人力だけで運び,設置したものです。もう陸軍はなくなったということで,片付けるのも結構な人力が必要なわけです。そんならほかっておけ,となるのももっともなことです。

 

快適な山の遍路道

 

 白峯寺から根香寺の山道は涼しくて快適でした。尾根づたいにのびる,あまり高低差のない遍路道であり,全行程日陰になっています。真夏のへんろにはほかにはあまりない,すばらしい条件の道だと言えます。

 ちょっといやなのは,蚊がいることぐらいです。

 

あんパン,グミ,まんじゅう

 

 根香寺では,お参りと納経をすませたあとあんパンとグミとまんじゅうを食べました。これが今日の昼食です。へんろのときの昼飯はだいたいこんなものです。甘いものが疲れたときには一等おいしいし,力がすぐに湧いてくるような気がします。普段はパンよりご飯の方が好きなんですけれど,夏に携行するということを考えると,おにぎりなどのご飯類は避けなければなりません。こういうときは,パンもなかなかにおいしいものです。

 

お盆提灯

 

 お墓に提灯のような飾りがありました。お盆提灯のたぐいでしょうか。今日は8月の15日,ご先祖様を迎える日でもあります。わたしはそういうことは信じていません。日本の習俗としては根強いものがあるのですね。いろいろな地方でさまざまの形で「お迎え」という習慣は残っています。

 わたしの家でも父母が熱心に毎年お迎えをしています。わたしはそういうことは受け継ぎたくはないのですが,どうしたらいいか今はわかりません。

 

絶景,瀬戸内海

 

 根香寺から県道を下りていきます。しばらくすると瀬戸展望が開け,瀬戸内海が眼前にひろがりました。入り江の街や遠くの小島が海の青と空の蒼の中で美しい画面を作り出していました。県道のヘアピンカーブを回るたびに違うけしきになるのも楽しいものです。

 

 

高松市

 

 半分ぐらい下ったところで,歩きへんろの男性と出会いました。埼玉から見えた年配の方で,やっぱり飛行機で来られたそうです。今日は高松市に泊まって,明日85番まで打って帰る予定ということでした。

 しばらくいっしょに下っていましたが,

「一休みしていくから先にどうぞ」と言われたので,ひとりで先に進みました。へんろは基本ひとり,です。だれかといっしょに歩くというのは,一見楽しそうですが,気を遣って帰って歩きにくいものです。だから,このときもおそらく気を遣われたのだと思います。

 その後,そのおじさんとは先になったり,あとになったりしました。

 

お地蔵さん

 

 香川県に入るとすぐに気がつきました。お地蔵さんが多いな,と。まさにお地蔵さんらしいかわいいお地蔵さんがありました。地元の人が大切にしているのでしょう。きれいな花も生けてありました。お団子も供えてありました。

石仏?

 

 こんなお団子のような石仏(?)もありました。ちゃんとお社に入っています。社に入っているとなると,神道系なのかなとも思いました。なんにしても信心深い人が多いのでしょう,この地域の人たちは。

 

 

鬼無の休憩所

 

 「とてもきれいで,ゆっくり休める休憩所があるから,ぜひ寄ってみてください」と,せと国民旅館の親父さんから進められました。根香寺から下りてきて,鬼無の駅を越えてすぐのところにありました。でも,まったく間の悪いことに日曜日休みの今日は日曜日でした。

 少し手前で休憩していた「埼玉から来たおへんろさん」にも紹介したのですが,休みの日だったのは本当に残念でした。縁がなかったのですね。

 お遍路で歩いているといろいろな”予定外”があります。そこに着いてみなければわからない,それが“へんろ”なのかもしれません。

 昼過ぎからとても暑い日になりました。でも,暑くても田んぼの真ん中の小道を歩くのは,ときどき吹いてくる風が心地よいものです。国道や県道をクルマといっしょに歩くのとは違って,少しばかりですが癒されるところもあります。

 

いつかは着く

 

 暑い,でも一歩,一歩。いつかは着きます。あせる必要はありません。早く,早くと思って歩くと,オーバーペースになります。最後には足がうまく動かなくなります。結局休まなければならなくなり,着くのは遅くなってしまいます。とにかく,一歩,一歩。いつかは必ず着きます,どんなに遠いところでも。

 

 

 

うどん「黑田屋」

 

 83番「一宮寺」では,小さな女の子が鐘をつこうとしていました。まったく背が届きません。おばあちゃんとお兄ちゃんとが一所懸命にだっこして,女の子を助けていました。「うちの子も,あんな小さな時があったなあ」などと似合わぬことを思い出していました。

 

 一宮寺の門前に地図上では存在していたうどん「黑田屋」は廃業していました。またまた讃岐うどんから見放された格好になってしまいました。あてにし,食べるのを我慢してきただけに,一気に力が抜ける思いでした。

 結局少し先にあったローソンでおにぎりとまんじゅうを買い,歩きながら食べました。冷たいお茶を飲みながら食べたら少し元気が出ました。

 でも,今日の宿泊予定の高松市のビジネスホテルまでの5㎞,暑さとたまりにたまった疲労でその道のりはとてつもなく長いものになりました。

 

 でも,やっぱりいつかは着くのです。

 

ビジネスホテル「あづま」

 

 「一人歩きの地図」を見て,電話で予約を取ったときは「あづま旅館」という名前で認識していました。しかし,行ってみると“ビジネスホテル”に様変わりしていました。高松市,栗林公園の隣にありました。

 ご主人(ホテルだからマスターでしょうか)さんに

「わたし,あんまりビジネスホテルになれてないんです」と言うと,

「旅館です,中身は旅館です。部屋んなか見るとわかるけど,畳ですし」

 口調も旅館の親父さんそのもので,気持ちがすうっと楽になりました。

 近くのコンビニで弁当とおにぎり,バナナを買ってきて,ホテルの部屋で食べました。ちょっと多すぎたのでしょうか,コンビニのレジで

「お箸は何人分入れましょうか?」と聞かれました。