今日もくもりときどき雨
今年の夏はやっぱり涼しい。愛知県はどうなっているのだろうか。全天に太陽光線が満ち,じりじり背中を焼かれ,空気もびたっと止まってしまう,あの暑い日がない。お天道様はときどき顔を出しはするが,すぐに出てくる雲たちに覆われ,しょぼしょぼと雨が降り出す。そんなことの繰り返しだ,この数日間。
今日の雨は途中でかなり本格的になってきた。笠があまり好きでないのか,いつも背中にしょっていたMさんも止まって笠を身に付けた。ついでに,ザックにレインカバーを装着した。私もそれに習って,笠とザックを同じように雨仕様にした。自分は濡れてもいいが,ザックのなかには濡れてはいけない大事なものが入っているのである。合羽は相変わらずザックのなかでお荷物になったままである。
「私も合羽は持っています。使わないですねぇ。」とMさん。
「急な下り坂多し」
案内表示どおり下り坂が長々と続いた。下りは体力の消耗は少ないが,足や膝を痛める原因となる。そして,転倒などけがにつながることもあるので要注意であるが,どうしても先を急ぎたいという気持ちが湧いてきてしまい,オーバーペースになって,あとで後悔することがほとんどである。要するに調子に乗ってしまうのである。私の足も,このときはまだ元気でこの先何百kmでも歩けるような気がしていたが,膝の破壊とまめによる攻撃が静かに準備されていたようである。
「後悔先に立たず」ですね。
石工の相原さん
「岩本寺の石仏,あれは私が作りました。」
穏やかな口調ですごいことも何でもないように話してくれた石工の相原さん。「坂本屋」のご主人,という雰囲気だったが,実のところはどういう立場の人か,いまいち曖昧なままでお別れしてしまった。
「坂本屋の坂本は名前ではなくて,この辺の地名です。この辺は相原って多いんですよ。”あいはら”でなく,”あいばら”,濁るんです。」
このあと3kmほど下ったところに「相原石材彫刻店」という工場があったが,この相原さんの工場だろうか。
代々石工で,お父さんは有名なお寺の石仏を,おじいさんは京都の知恩院の・・・,といったとんでもないことを淡々と話してくれた相原さん。次から次へとよくしゃべる人だったが,その口調が穏やかなためか,人柄が現れ出るからか,ちっとも耳障りではなかった。
「これから行く浄瑠璃寺にある,仏足石,あれも私が作ったんです。あれを踏むと健康になるって言われてるけど,ならんですよ。」
八坂寺で出会った人
自転車(スポーツバイク)で回っている若者。
「宇和町,明石寺から来ました。」
それは,私が3日前にスタートしたところですよ。さすがに自転車は速い,若者はパワフルである。
「久万高原も自転車で上りました。」
脱帽です!
野宿へんろの若者
「昨日は久万高原の役場のバス停で泊まった。蚊がいっぱいいてあんまり眠れなかった。」虫さされの薬を手足に塗りながら話してくれた。
「今日はここのお寺の通夜堂で泊めてもらえることになりました。」
「先に女性が1人来ていて,危なく泊まれなくなるところだったけれど,2人まではOKだそうでよかった。」
「女性って・・・,」
女性がひとりで通夜堂か,どんな女性だろうか。
2周目だという健脚おじさん
「今日は大宝寺から来た。」
「大宝寺・・・・・・!!」
「1日に45〜50kmは歩ける。」
「・・・・・・」
本当かいな,と思ったが,翌日その言が私の目の前で実証されることになった。
へんろの途中で亡くなった人たち
へんろの途中で亡くなった無縁仏の墓が至るところにある。さまざまな人がいてさまざまなへんろがあるということを,今回であったわずかな人からも感じたが,私が知らないへんろの世界がその数倍,数十倍もあるんだということが容易に想像される。
今回のへんろで自分が考えさせられ,未だにどう考えていいかわからないのはこのことである。