真っ暗な国道を歩く
4時半に出立した。真っ暗ななか県道を,左に海を見ながら(といっても暗くて,漁船の光しか見えない)歩いた。北条付近で日の出に出くわした。東の空が赤く染まり出すとまわりも明るくなってくる。太陽は山裾からちょっとその顔を出す。太陽というものは,ちょっと顔を出したと思ったら意外に早くずずっとその全貌を表すものだということを,今回初めて知った。
今日は暑くなりそうである。初めて,だ。
鎌大師と快速女性へんろ
鎌大師でお参りして納経した。その時に女性のへんろがご住職夫婦の説教話を聞いていた。
「なんでもかんでも墓に手を合わせるのは間違っている。」というような話だったと思う。納経してもらっているあいだに盗み聞きしただけだから違っているかもしれない。
「そんな,よその人から手を合わせられたら,そこのご先祖様はどう思う?」
「・・・・・・。」
「自分の子孫の人たちがしっかり供養をしていればいいんだけれどね。もしそうでないとしたら・・・?」
「子孫は供養してくれない,という,嫉妬?」
「そう,よその人は手を合わせてくれるのに,自分の子孫や家族たちは,・・・,ということになるでしょう。」
私はどうしてもこういう“ご先祖様”という考え方になじめないし,納得できない。そんないやなやつなら,私は“ご先祖様”なんて要らない。
ここでご住職の話を聞いていた女性,健脚社長のように足が速かった。鎌大師を出てすぐの峠道のところであっという間に追い越された。
「お先に。」
あとで聞いたのだが,この日58番「仙遊寺」にたどり着いていたのだから,驚きである。私なんか,その8.5km手前の55番「南光坊」がやっとだった。
休憩するタイミング
あの岬を回ったら,コンビニがあるかもしれない,木陰のベンチぐらいあるかもしれない。海岸通りを歩いていると,とりあえず前の岬を越すことが目標になる。岬の向こうは見えないので期待が膨らむのだが,たいていは裏切られる。岬の向こうは何もなく,また岬が出現する,そういうことが多い。そうやって先へ先へ引き延ばしていくから,休憩せずに歩き続けてしまうことになる。
そういうタイミングで現れたお接待処「ぶじカエル」。月並みだが,砂漠でオアシスを発見したような思いだった。
中学生の心のこもった焼き物もうれしかったが,何よりも幸せだったのは“水道”があったことである。人間にとって水がどんなに大切か,へんろをしていると実感する。お茶でもなくスポーツ飲料でもない,純粋な水がいちばんいいし,おいしい。とくに冷たくなくてもいい,普通の水がたくさん飲めればそれが最高の幸せなのである。
水道の蛇口を思い切り開いていっぱい飲んだ。それからペットボトル2本を満タンにした。そうしたら,先ほど消滅しかかっていた,心の余裕がうんと出てきた。
感謝,感謝!
お接待
先の「鎌大師」で缶コーヒー,栄養ドリンク,飴,菓子のお接待を受けた。菊間の「遍照院」でもお菓子の接待を,またこの先自販機のところ(大西町)で休憩していたら,前の民家の女将さんから雨とアクエリアスのお接待をいただいた。
今回のへんろは前回に比べてお接待が圧倒的に多い。たまたまということもあるが,地域の雰囲気も影響しているのかとも思う。
ただ,へんろが自販機の前に陣取っているという図式は自販機を利用しようとする人に対する脅迫になるかもしれない。知らん顔して自分だけ買って帰るわけにはいかないだろう,と普通の人は考えるだろう,な。
野宿と引きこもり
今回のへんろで初めて“暑い”と感じた。54番「延命寺」では長時間休んだ。ここでまた変わったおへんろさんに出会った。
引きこもりの高校生とおじいさん,である。引きこもりであることは,翌日56番の「泰山寺」で出会ったときにおじいさんから聞いた。(”おじいさん”というのは私が勝手に判断したことで,実は祖父ではないかもしれない。)姫路から昨日四国入りし,野宿をしながら回っている,ということであった。
「昨日は北条で野宿をしました。鎌大師では断られたので,公園で。」
「水とトイレと屋根があるところがいい。テントは持っているが,屋根があった方がいい。」
「トイレは何とかなるけど,水は絶対に必要。」
「夏でたいへんなことは,やっぱり蚊ですね。」
野宿を続けている人はやっぱりすごいな。
「今日はこの子がちょっとへこたれているので,今治駅のところで宿をとろうと思っています。」
高校生は慣れていないようだった。
マグナのおじさん
55番「南光坊」で出会ったのはマグナに乗ったおじさん。腰が悪くて病院に通っているが,車は止められているので自動二輪で回っていると言う。どうして車が駄目で二輪がいいのかよくわからない。ちょっと自閉が入っているのか,私の返事にかまわず,次から次に自分のことをしゃべり続ける。同じおしゃべりでも,耳に心地よかった石工の相原さんとは大違いであった。
何とか話を切って別れようと試みたが,2度,3度とそのきっかけがつかめなかった。
「じゃ,またこんど,ね。」“今度”は絶対ないと思うが。