くるま道で
31番竹林寺には麦茶の接待があった。とっても冷たくておいしかった。ちっちゃな湯飲み茶碗で何杯も何倍も飲んだ。お参りを済ませ,石段を下りて納経所に行くと,T君が納経をすませて座っていた。
「元気そうですね。よかった。」いつも心配される。ありがたい。
「くるま道で来たんですよ。そうしたらいきなり上の本堂に出てしまったんですよ。コンビニのおじさんに道を聞いたら,今日は暑いから遍路道はきついよって。T君はへんろ道ですよね。」
「くるま道は日陰がなくて暑いでしょう。」
「ずうっと木陰で,だらだらと上がってきましたよ。」
トンネルで休憩
トンネルの中の日陰はひときわ涼しい。ずうっと日陰だからか,ほかの日陰より空気が冷たい感じがする。しかもいい風が吹いてくる。きちんとした歩道があって,安全さえ確保されれば最高の休憩場所である。
とろろぶっかけうどん
T君とSさんが”四国はうどんがうまい。”と話していたのを思い出し,高知新港近くの「麦庵」といううどん屋に入った。うどんのファミレスのような店だった。すでにT君が入り口近くのカウンターに座って食べていた。
「何食べてるの?」
「ああっ,釜揚げ,釜揚げうどんです。」
普段うどんなんて外食したことがないから,メニューがよくわからなかった。冷たいうどんということで,”とろろぶっかけうどん”を頼んだ。天ぷらのかす(なんて言うんだ?)をいっぱいかけて食べた。さすがに,うまかった。
山のような浦戸大橋
高い,まるで,山。歩く者にとっては山越えの難所である。しかも,歩道がめちゃめちゃ狭い。人がすれ違えないほど。高知のおじさんNさんにその夜聞いた話なんだが,飛び降りる(自殺?)する人が出てきたので,高いフェンスを設置したんだそうだ。
あと3km…,2km…,と33番を目指してひたすら歩いた。ところが地図を読み間違えていた。よく見たら,浦戸大橋周りは,大回りになるから1km以上長くなっていた。落胆とともに右足のまめがよけいに悪化してきた。
自転車でへんろ
福島から来たという自転車のお兄さん。バスと新幹線で徳島入りしたそうである。”歩きの3倍ぐらいの距離が稼げる。”と言っていた。
「自転車は,徳島のホームセンターで買ったんですよ。1万円。野宿してるんですが,海岸での野宿は最悪でした。暑いんですよ,砂が。夜中になってもいつまでも熱を持っていて,暑い。眠れませんでした。」
いろいろしゃべっていたら,T君がやってきた。今日はよくT君に会う。
「ここの通夜堂に今日は泊まろうか,次まで行こうか・・・・・・。」T君も野宿派である。
わたしには宿に行って風呂に入り,エアコンの効いた部屋でゆっくりするという楽しみがある。それをえさに日中の苦行を耐えているのだが,野宿派の彼らにはそれがない。本当に頭が下がる。
高知のおじさんと相部屋
初めて経験した,相部屋。高知のおじさん,30番でT君,Sさんといっしょにいた,ちょっと白髪交じりのおじさんだった。小牧,豊橋にいたことがある,という話から察すると自衛隊OBか?年の割になかなかいい体格をしていた。
「愛知の景気はどう?こっちはだめでしょう。閉めている店とかいっぱい見かけるでしょう。地方切り捨てだから,小泉の政治は。中央はいいけれど,地方はだめ。」
自分は夜は遅い,といいながら,布団に入ったとたんに寝息になっていた。他人の寝息を効くとよけい眠れなくなってしまう。なかなか寝付けなかった。もっとも,足のメンテナンスを念入りにした(トクホンチールをたっぷり塗った)せいで,足がほてって眠れなかったのかもしれない。
手塚おやじ
民宿「関の家」の主人はベレー帽を愛用していて,見かけは手塚治虫。24日で回った雪蹊寺の偉いお坊さんの話をしてくれた。自衛隊OBのNさんはよく研究しているらしく,上手に合いの手を入れていたが,私にはよくわからない話だった。
それにしても24日なんて私には考えられない。