笑福旅館のお接待
朝5時半,玄関を出かかったら,
「あら,もう出ます? 今,おにぎりを焼いているところなんです。ちょっと待って,持っていってください。」
「完全に焼けていないから,早めに召し上がってくださいね。もう少し時間があれば,・・・。」
焼きおにぎりと凍らせたお茶をいただいた。
感謝,感謝!
今治西高校野球部
6時前に横を通ったら,野球部員と思われる高校生が自転車に乗って次々に登校してきていた。さすがに強豪今治西野球部である。
竜泉寺のご住職のお接待
姫路のおじさんに出会ってお参りしていたら,朝のお勤めが終わったご住職に誘われた。喫茶店のような部屋で喫茶店のようなコーヒーをいただいた。結局コーヒーを飲んだのは行きの新幹線のなかとここと帰りの新幹線のなかの3回だけだった。ここのコーヒーがいちばんおいしかったのは言うまでもない。
姫路のおじさんの読経
すばらしいお経を聞いた。あんなふうに読経できたらいいな。
再び四国遍路無縁墓地
こんなにまとまってたっているのは珍しいが,各地に点々と存在する無縁墓地は,なんといっていいかわからない物憂さを感じる。悲しくさびしいことであるが,「あなたに悲しんでもらわなくても結構」と言っているような。
姫路のおじさんと快速女性へんろ
58番「仙遊寺」に着いたのが9時半。ここにあの足の速い女性がいた。前日にここに来て泊まったという。さすがに快速である。しかし,もう10時近くなっているのになぜ,ここに?
あとで本人から聞いたのだが,今回は2回目のへんろで,前回にお世話になった人に恩返しをしながら歩いている,と言う。ただ,先へ先へと歩いている私とは違って,もう一枚中身があるというか,悔しいが深いものを持って臨んでいるということだ。だから必要とあれば,何時間でもとどまる,というわけであろう。
またまた,私を超えた世界を持っている人に出会ってしまった。脱帽,である。
「じゃ,お先に,この下でお大師様の御加持水をいただいていきます。」
「病気を治してくれるお大師様の水だよ,前回来たときには瀧のように流れていて,私はそこで裸になって行水したんだけど。今日は全然なかった。」と姫路のおじさんが教えてくれた。
私も女性のまねをして,帰りに御加持水をいただいた。
こんなところにも無縁墓地が
どこにでも人間は住んでいる。また,墓地もどこにでもある。
220回巡拝したH.Yさん
今治市国分でサークルKで弁当を買った。360円。その時右脇から突然声がかかった。
「おへんろさん,うちで休んでいかんかね。昼ご飯でもどう。」年配の女性がこちらを見て,にこにこしていた。
今,弁当を買ったばかりで,動揺した私は
「今,弁当を買っちゃいましたよ。」
この返答は私の心の貧しさを直出していた。
つまり,今買ったばかりの弁当が無駄になっちゃったじゃないか,ということである。何という貧しさ,穴があったら入りたいとはこういうことだろう。
それでもその女性についていった。5分ほど歩いたところに自宅があり,遠慮なくお邪魔することにした。そこで見たこと,聞いたこと,本当に驚いた。こんな出会い,偶然をお大師様は用意しておいてくれたんだ。
220回まわったという納経帳は真っ赤だった。
ご主人と1年に35回まわったこと,1ヶ月に3回である。1回で6日か7日はかかることを考えると,その数の多さがわかる。
それは,末期癌で半年の命だと医者から宣告されたご主人のためというのがきっかけだったこと。そして,その後主人はそれから10年生きられたこと,それもほとんど健康状態のまま10年過ごせたこと,みんなお大師様のおはからいである。そんなことを話していただいた。
そのご主人も5年前に亡くなられ,今では1人で暮らしている。今でも1人で回ったり,仲間と一緒にまわったりしているそうだ。
へんろの鉄人である。
そんな人から,お接待をいただいたこと,大事な思い出になった。
快速へんろのHさんに220回のHさんの家を教えた
59番「国分寺」前のタオル工場「五九楽館」で快速へんろの女性に三度会った。このときに初めて話をした。名前がHさんであること,北海道から来ていて,今回で2周目であることはこのとき知ったのだ。
Hさんに220日にまわったHさんの話をしたら,ひどく驚いて
「私,前回Hさんにお世話になっているんです。今治だったなぁと思いながら,住所を書いた紙を忘れてしまって,」
そういうことならと,「すぐそこだから」と言って家の近くまで案内した。この偶然をたいへん喜ばれ,
「こんなふうに教えてもらえるなんて,感激。突然お邪魔してもいいかな。」
「喜ばれると思いますよ。」
このあと,私は国分寺にお参りをした。HさんはHさんの家に行ったと思う。どんな出会いがあったんでしょうね。
五九楽館ではアイスクリンを接待していただきました。実は,アイスクリンを食べたのはこのときが初めてでした。
ちょっとここの坊主は
栴檀寺奥之院「世田薬師」,別格だが,納経ができた。
病気平癒のお願いに来ていた夫婦と思われる2人がご住職と話をしていた。このご住職,実に横柄。
「で,今どうなの。痛いの? ふうん。」まるっきり気がない。
私は終わるまで待っているつもりだったが,ご住職はちらっとこちらを窺って,
「納経? ううん,・・・・・・,こっちにもってきて。」と顔を向けずに右手だけこちらに出した。話はご夫婦としたままである。
「で,病気の種類は,何?」
納経帳を出して「お願いします」と言っても,何の返答もなし。書いてから,やっぱり右手だけ差し出して,
「はい」無造作に納経帳を渡してくれた。
私の思い過ごしだったかもしれないが,私に対しての態度はまだしも,病気で苦しんでいる人に対してああいう態度はいかがなものだろうかと,やっぱり考えさせられた。
昼からの16kmはきつかった
暑い日になった。昼過ぎから16km歩くことになった。今治市を抜けて西条市へ。今回のへんろで初めて暑さでへばった。世田薬師に着く頃はちょっと脱水症状でふらふら。幸い世田薬師には水道があったので,水をがぶ飲みして何とか体力を回復した。
ルート選択でもミスったかもしれない。国道をそのまま歩くか,高速道路の側道に行くか,へんろ地図は後者を指していた。
そのまま私は後者を選択したのだが,高速道路の側道はあまりよくないと言うことが分かった。日陰になっているかもしれないという期待もあったのだが,ほとんどない。何よりも高速道路は山を切り開いて作ったところが多いので,上り下りが激しい。たぶん,としか言えないが,国道をそのまま歩いていたら,平坦な道だっただろう。
ただ,同時に2つを体験できない人間派には真実は本当のところ見えない。そういうふうに想像できるだけである。ひょっとしたら,国道ルートはもっとひどいことがあったかもしれない,と考えることもできるのだ。
暑くてきつい16kmだったが,丹原町の人の温かい心にも少しふれることができた。栄家旅館まであと1kmまでだとりついたところから旅館まで,わずか1kmのあいだに3人も声をかけられた。
「おへんろさん,どこまで行くの? 栄家さん,ここまっすぐね。」
「こんにちは,まっすぐよ,次の信号左,そのあと三叉路を右ね。」自転車のおじさんがいきなり声をかけてきた。
「違う違う,反対,反対,そっち,そっち」これも自転車に乗ったおじさん。私が街の様子を記憶しておこうとあちこち首を回していたら,迷っていると思われたのだろう。
栄家旅館
初めての1階部屋,部屋食でした。部屋の鍵はありませんでした。洗濯はお接待していただきました。