8月17日(火)

民宿「ながお路」の朝食

 

 宿の人と豊橋の若者とわたしの3人で食べました。いよいよ88番,最後のお寺「大窪寺」にむかう前の朝食です。

宿「女体山越えのへんろ道はきついですよ。この時季,アブや蜂が出ます。ハミ(マムシのことらしい)も出る事があります。」

豊「やめたほうがいいですか?」

宿「余分に1時間近く時間もかかります。」

私「こっちの道は大回りに見えますが」

宿「こっちのへんろ道のほうが早いですよ」

 結局二人とも女体山越えを咲けて,昔のへんろ道を行こうということになりました。

 豊橋君は「なるべくへんろ候ではない格好をしているんです」といいます。金剛杖だけはしょうがないといい,それ以外は普通の格好です。白装束も菅笠もありません。

 私は,菅笠がきわめて機能的であること,長袖の白装束が遮熱ということでは最適であることを語りました。格好は伊達ではありません。

 実際に菅笠は少々の雨が降っても平気です。普通の傘と違って両手が空くので歩くのになんのハンディもありません。もちろん日差しを遮り,いわば常に日陰を作ってくれますし,風通しも抜群です。帽子と違って蒸れることもありません。その上,藪や森に入ったとき,前方から襲ってくる小枝を難なく撃退してくれます。

 長袖の白装束は直射日光から守ってくれますし,袖口が大きくゆったりとしているので,抜群に風が通ります。真夏にはこれ以上ない衣装でしょう。洗濯してもすぐ乾くところも見逃せないよさです。

 金剛杖の機能は山道でとくに発揮されます。上りでも下りでもこの杖なくしてへんろはありえないというほど重宝します。また,草むらに入ったとき草をかき分けるのに便利です。時には潜んでいるヘビやマムシに効果的に警告を与えることにもなります。

 

88か所のお寺はみな平等

 

 そのあと,88番のあと1番に戻るかどうか,という話になりました。2人とも1番まで行くつもりで宿の人にいろいろと尋ねます。

宿「本来は88番で終わりなんです。1番のお寺さんは戻ってらっしゃいといいます。商売ですから,戻ってきて欲しいんです。」

私「何となく,88と1をつないで輪にしたいという気持ちがあります。」

豊「87番で1番までの道を聞いたら,教えてくれませんでした。」

宿「1番さんはちょっと商売っ気があって,霊場会では批判されているんです。快く思っていないお寺さんは多いようですよ。88か所のお寺さんはみんな平等なんです。1番だけ特別ということはありません。」

 本来のすじやお寺さんの事情は複雑でしたが,私も豊橋君も1番まで行くことにしました。やっぱり輪にしたい,○にしたいという気持ちです。

 豊橋君はさらに気合いが入っていて,1番から高野山まで歩きたいようでした。

 

 

見送り

 

 朝7時に宿を出発しました。豊橋君より先に出ました。見送りに出てきてくれたご主人さんに

「ありがとうございました」と出立の挨拶をしました。

「まだ・・・,お代金をいただいていません」

「・・・・・・」

 宿泊代を支払って,あらためて挨拶しました。ご主人さんはずうっと見送ってくれました。しばらく歩いてふりかえると,まだ見送っていただいていました。角を曲がって見えなくなるところまで,ずううっと見送っていただきました。施設も食事もサービスも二重丸のたいへんいい宿でした。

 

 へんろ交流サロンまで一本道です。オーバーペースにならないように歩きました。3㎞ほど歩いたところで,豊橋君に追い抜かれました。やっぱり,わかい,はやい。

 

おへんろ交流サロン

 

 おへんろ交流サロンで「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」をいただきました。歩きへんろにだけいただける任命書です。任命書の中に「1200㎞完歩され」という文言がありました。「いつかは着く,歩いていればいつかは着く」そう思って歩いた1200㎞でした。

 交流サロンのおじさんに女体山ルートはやめなさいと忠告されました。

「女体山ルートは観光用に造った道なんだよ。本来の道は旧へんろ道の方」竹屋敷を回るへんろ道を進められました。

「旧へんろ道は70丁までは上るけれど,あとはだらだらと普通の道,丁石があるからそれを見ながら行くといい。」豊橋君は丁石と町石の違いを教えてもらっていました。

「女体山ルートは今の季節はとくにたいへん,ハミが出るかもしれないよ。水が全くないからね。」

 私も豊橋君も女体山ルートは止めることにしました。豊橋君は県道を,わたしは旧へんろ道で行くことにしました。2つの道は5㎞ほど行ったところでいっしょになります。

 

旧へんろ道


 交流サロンに男女の2人の歩き遍路がやってきました。昨夜は「あづまや旅館」に泊まったそうです。私たちの泊まった宿の隣です。この2人は「女体山ルートに行かなくっちゃ」と険しい山道に入っていきました。

 「いっしょにどうですか」と進められましたが,遠慮しました。同時に二つの道をとることはできない,これがこのへんろで学んだ大きなことのような気がします。女体山ルートは吉だったのか凶だったのかも永遠にわからない。わたしは旧へんろ道を選んだという事実があるだけ,それだけです。

 

涼しい,静か,広い


 旧道はまったく車が通らない,しかも広くて,日陰になっている快適なへんろ道でした。舗装されていて車が通らない道というのはあまりありません。快適さにおいて「車が通らない」ということが大きな条件だということもこのへんろで学習しました。

 日陰で小休憩をします。ふわっと風が吹いてきます。こういう時がいちばん心地よいのです。

 

赤とんぼ

 

 赤とんぼを見ました。それもいきなりたくさんの赤とんぼを見ました。田んぼの上を思い思いに滑空していました。赤とんぼを見るなんて,もちろん今年ははじめて,去年見たのはゴルフ場だったように思います。日常で,近所で見なくなりました。赤とんぼがいなくなったのか,自分に関心がなくなったのか,その両方かもしれません。

 赤とんぼといえば,秋,さすがにこの辺りははやい。ツクツクボウシも懐かしくなりました。

普通のお寺

 

 もっと大きなお寺かと思っていました。結願のお寺でありますから,ほかのお寺とは格が違う,と考えていました。だから,大きくて,豪華で,贅沢で,いばっていて,何もかもたくさんあって,・・・・・・と,さまざまに想像を膨らませていました。でも,普通のお寺でした。

 民宿「ながお路」のご主人さんがおっしゃった言葉がよみがえってきます。

「本来88ヶ寺はみんな同列,同じ立場のお寺なんです。1番だけが特別ということはありません。強いて言えば,善通寺だけは少し別格,あそこだけは先達の免許を発行できるのです。弘法大師の生まれたお寺ですからね。」

 

高野山に行くとき困るでしょ

 

 納経所で「結願証」を書いてもらいました。けっこう立派な証書ですが,2000円を安いと見るべきかどうか,です。そこへ小さな子どもさんを連れた家族連れが納経を済ませたあと

「杖とか菅笠はどうすればいいんですか?」と尋ねていました。ここへ納めておくべきかどうか,ということです。宝杖堂というのがあり,ここへきた人の杖が納められていました。で,この方はそこへ置いておくべきものか迷われたのだと思います。

「置いていったら,高野山に行くとき困るでしょ」これが答えでした。大窪寺としてはみんながみんな置いていったら,実はその処置に困るのかもしれません。

「まだ,あるんですか? ここが,おわり,じゃないんですか?」

 88か所めぐりの終わりと言えば終わりです。ここから高野山に行くことについてもさまざまな見解や異論があるようです。このときはわたしもよく分かってはいませんでした。

 

みやげ

 

 土産をどっさり買いました。大窪寺で記念の念珠とお守り,門前の野田屋でまんじゅう,せんべいにうどんとアクセサリーを買いました。2万円近くにもなったでしょうか。けちんぼの私としては,珍しく奮発しました。土産物と不要物は併せて宅配便で送ってもらうことにしたので,ここから先は少し身軽になりました。

たらいうどん

 

 野田屋で「たらいうどん」を食べました。ざるそば風のうどんでした。おかみさんに

「どうして讃岐うどんはおいしいんですか?」と尋ねました。

「水です。きれいな水,わたしのとこもこの地から出る水でうどんをこさえています。こしの強い,おいしいうどんには,いい水が欠かせません」

 “水”の違いということになると,他の地方では工夫のしようがありません。どんなに科学や技術が発展しても,たぶん讃岐の水には勝てないということになりましょう。

7㎞行ったら

 

 野田屋の向かいの店のおばさんが親切に次への道を教えてくれました。

「そこの道を下りていって,7㎞行ったらトンネルがあるから,その手前を・・・・・・」

 実は,この“7㎞”という表現は歩きへんろにとってはとても消化できない内容なのです。クルマに乗っている人には便利な言い方です。トリップメーターをセットしておけば,6㎞を過ぎたあたりから,トンネルはないかと注意することになります。しかし,歩きへんろはトリップメーターを持っていません。しかも7㎞という距離は,歩けば2時間近くかかります。とてもそんなに広い情報を小さな頭脳にためておくことはできないのです。「500m行ったら右に曲がってね」,歩きへんろに感知できるのはせいぜいこれぐらい,500m以内です。

 おばさんは親切でした。でも,案内は自動車用でした。

 

トンネルを行くか山道を行くか

 

 何度こういう選択をしてきたでしょうか。そして吉凶はどちらにあったか今でも分かりません。今回も迷いました。迷って「五明トンネル」を選択しました。吉だったのでしょうか,凶だったのでしょうか。

 山道はどんなだったか分かりませんが,トンネルの方は平坦で歩きやすい道でした。トンネルの中も涼しく通り抜けることができました。

 

白鳥温泉

 

 白鳥温泉に至る県道も静かで,日陰も多く歩きやすい道でした。途中中尾峠にさしかかるところで山道に入っていきました。「これが最後の山道かもしれない」と思って味わいながら歩きました。

 白鳥温泉に着いたのは5時を少し回っていました。白鳥温泉はきれいで立派な公共施設でした。地元の人が気軽に利用できる温泉であり,地元の人のための保養施設として運用されているようです。宿泊もできる保養施設と行ったところでしょうか。