8月18日(水)

夜明け

 

 白鳥温泉は朝5時に出立しました。まだ真っ暗でした。朝食はおにぎりにしてもらい,前日に2個受け取っていました。加えて売店でパンを2つ買って携帯しました。県道をしばらく行くと前方から太陽が昇ってきました。だらだら下っているので楽に歩けます。早朝の涼しさと静かさは快適な歩行を演出します。すっかり明けたころに国道377号線に出ました。

 

峠越え


 1番に向かうルートはいくつかあります。わたしは引田に出て大坂峠,卯辰峠を越えるルートに決めました。距離的にはいちばん短いようですが,峠が2つあるのが気がかりでした。

 引田まではだらだらと下ります。道も広く一本道で迷うことなく歩けます。朝で元気ということもありますが,かなりのペースで歩きました。時速でいうと6㎞近かったのではないでしょうか。1時ごろに霊山寺に着きたいという事情もありました。そこで,大学時代の同級生Fさんに会うことになっていたからです。

 引田の街を通り抜け,久しぶりに見た瀬戸内海を左手に見ながら少し歩くと山道に入りました。ここから標高400mの大坂峠に向かいます。この峠が香川県と徳島県の県境になります。

涅槃の道場

 

 県境には道標が立っていました。実は,ここでちょっと欺されました。県境すなわち峠,という勝手な認識がありました。だから,県境の道標をすぎたから,あとは下っていくばかりだろうと思ったのです。ここまでの上りですでにかなり体力を消耗していたわたしは,県境の道標を目にしたとき大きな達成感を感じてしまったのです。

 ところが,その県境から上っても上ってものぼりが尽きません。峠と県境がかなりずれていたのです。

「いったい峠はどこだ!」

 涅槃の道場なんてどこにあるやら,県境を罵倒しながら裏切られた思いを思いっきりぶつけながら歩きました。

水が足りない

 

 峠はやっと通り越したものの,下りもまた長い。こんなに山道が長いと思いませんでしたので,携行している水の残りを心配しなければいけなくなりました。県道が交差しているところで小休憩をしました。県道の案内板には,「右−板野町,左−鳴門市」とありました。

アセモ対策

 

 急な階段を下ると県道に出ました。そこからまただらだらと下っていきます。山の中はきついアップダウンがありますが,木々に覆われていて日差しが当たることはほとんどありません。山を出て県道や国道に出ると暑さとの闘いになります。この日も最高気温を記録するほど暑くなりました。暑さにやられないように注意しなければなりません。

 わたしの場合はアセモを作らないようにも注意しなければなりません。とくに太ももの内側の部分です。ここにアセモを作ると,右,左,右と足を出すたびにいたい思いをしなければなりません。県道を少し歩いたときにはもうズボンの中は汗でぐっしょり状態になっていました。

 このまま行くとまずいかもしれない,アセモにやられるかもしれないと思いました。ズボンとズボンの中の汗を何とかするしかありません。背に腹は代えられません,思いきった対策をすることにしました。

 下着を脱ぐ,という対策です。ズボンがなかなか乾かないのは実は下着もズボンも濡れているからです。下着がなくてズボンだけならずっとはやく乾きます。そのことは2回目のへんろ,窪川で大雨にあったときに実体験しました。

 幸いここは山の中,だれも通りかかりません。ズボンを脱いで,下着も脱いで,下着はリュックにしまいました。そしてズボンだけをはいて歩くことにしたのです。快適とは言えませんが,アセモ対策にはなったと信じています。

 

峠の先はまた峠

 

 二つ目の峠は県道でした。山道ではないので険しい道はありません。その代わり直射日光に照らされ続けながら,だらだらと長い坂を上ります。これも険しい山道に劣らないたいへんさがあります。だいたいどこでも山道はくねくねと曲がっています。見えるのは曲がっているところまでです。視界には曲がっている先はありません。だから,そこが峠に見えるのです。

「あそこが峠かもしれない」と何度思ったことか。

 結局そこに到達するとその先にまた新しいのぼりが現れる,ということの繰り返しになります。

「いいかげんにしろ」という思いになります。またまた,ここが涅槃の道場だとはとても思えなくなります。

 

鳴門ドイツ館

 

 峠を少しくだったところから下に箱庭のような集落が見えました。この先に鳴門市,1番「霊山寺」があります。あとは下るだけ,と思うと今までの苦労が急に懐かしくなりました。道も広く迷うことはありません。あと闘うのは暑さだけです。

 道の駅「第九の里鳴門ドイツ館」で一休みしました。冷たいお茶を自販機で買って味わって飲みました。そのあとで,トイレで着替えました。5年ぶりで同級生のFさんに会うので,汗まみれになっている下着を着替えておこうと思ったからです。

 鳴門になぜドイツというのは,第1次世界大戦の時,鳴門に「板東俘虜収容所」があったという史実に基づいています。そのことはFさんに教えてもらいました。Fさんは板東で生まれたそうです。

 

6年ぶりの霊山寺

 

 ドイツ館を出て高速道路をくぐると鳴門市街になります。県道12号線に入ると6年前の記憶がよみがえってきました。

 川があり橋を渡りました。この川は6年前にも渡りました。その時は水不足の年で,川には水が流れていませんでした。良く覚えています。しばらくすると霊山寺の山門が見えてきました。その横にへんろ用品のお店があります。そこで6年前に今見に着けている白装束を買いました。菅笠も金剛杖もそこで買いました。

「袖無しと袖ありはどちらがいいですか?」

「袖付きのを着ている人のほうが多いですよ」そんな会話があったような気がします。

 納経帳は小さいのと大きいので迷いましたが,思いきって(?)大きいのを買った,その時の気持ちも想い出しました。

 

5年ぶりのFさん

 

 Fさんにあったのは2回目のへんろの時でしたから,5年ぶりでした。こんなに懐かしく,うれしいいことはそうありません。いっしょに霊山寺に入りました。

 霊山寺ではお茶とお菓子を接待していただき,1周してきたという記録を残してきました。その時相手してくれた女性は,わたしのおぼろげな記憶でありますが,6年前に相手をしてくれた女性と同じではなかったかと思っています。

 6年前,その日の宿を取っていないと言ったら板東旅館に電話をして予約をしてくれた女性,それが今日の女性ではなかったかと思っているのです。

 

 そのあと,Fさんに案内してもらってうどんを食べました。徳島駅まで送ってもらい,高速バスの切符を買って,バスに乗るまで世話をしてもらいました。心からありがたく思っています。