8月12日(金) 23番「薬王寺」

22番「平等寺」付近 朝焼け
22番「平等寺」付近 朝焼け

 

今日の予定は35㎞

 

 23番「薬王寺」(日和佐)までおよそ20㎞,そのあと,牟岐まで15㎞,これが今日の歩行予定です。今まではどこか白山にはいることがあって,平地,長い国道を1日中歩くのははじめてになります。

 国道の大敵は直射日光とアスファルトからの照り返しです。10時をすぎると日陰はなくなり,身は避けようがありません。それまでにできるだけ先に行かなければなりません。

 山茶花を朝5時ちょうどに出発。玄関の鍵は自分で開けました。左手の山の端がほんのり赤みを帯びています。今日も暑くなるぞ,というアピールです。

 目標は,10時に日和佐,です。

世界文化遺産登録のアピール
世界文化遺産登録のアピール

 

世界遺産

 

 最近,奥州平泉と小笠原諸島がユネスコの世界遺産になりました。「お四国へんろ文化」もそういう動きがあるようです。そのことは昨年愛媛を歩いているときに地元のおじさんから聞きました。愛媛ではそれ以外にその運動の気配は感じませんでしたが,ここ徳島はより熱しに活動しているようです。

お遍路人形,横断歩道に設置されていました。
お遍路人形,横断歩道に設置されていました。

 まずは,きれいなへんろ道にしようとアピール,ゴミ捨て禁止の看板がいくつもありました。世界遺産って,登録されるとどんないいことがあるのか知りません。「世界」というぐらいですから,とんでもなく華々しいものに違いないとは思いますが,実際はどうなんでしょうか。

「んなもん,ならんくて,いいよ」

 愛媛のおじさんは,そう言っていました。

 徳島だけが暴走している,そんなことはないでしょうか。

 

 横断歩道にお遍路さん人形がありました。この地域ならではだと思いましたが,これも世界遺産アピールの一環なんでしょうか。ただし,私はこれ一体しか出会えませんでした。なんだかブリキで作った子供のおもちゃのようでもあり,ちょっとした愛嬌がありました。

 

 

お遍路さん専用(?)のグリーンベルト
お遍路さん専用(?)のグリーンベルト

 

グリーンライン

 

 これも徳島ならでは? 世界遺産運動の一環のように見えます。「お遍路さんにグリーンラインで思いやりの運転を」とおへんろ人形が車に呼びかけています。6年前に歩いたときにはありませんでした。歩道がつくれない言い訳のようにも思えますが,何もないよりずっと”優しい”道になったことは確かです。

 道そのものも6年前に比べてよくなっていると思います。

「こんなにきれいな道だったかなぁ」

 しばしばそんなふうに思いました。翌日,鯖大師で出会った自転車おじさんも道路はどんどんよくなっているといっていました。日本はなんだかんだといってもまだお金持ちなんでしょう。山間部や田舎の自然の中に突き刺さるように走っている最新の道路を目にするとつくづくそう思います。

 

後日談です。

 

 「グリーンライン」はてっきり徳島ならでは,と言いましたが,なんと愛知県にもありました。知多半島の豊浜で全く同じグリーンラインを見つけたのです。

 ここには「知多新四国」といって,88カ所のミニチュア版があります。おそらく徳島と同じ趣旨で,お遍路さんのために設置したラインだと思われます。

 バイクで走っているときに見つけました。

23番「薬王寺」境内から日和佐の町を望む
23番「薬王寺」境内から日和佐の町を望む

 

20㎞を4時間45分

 

 5:00に山茶花を出発して,9:45に日和佐に着きました。ある意味ころは自分にとって体力測定でもありました。平地を長い距離を歩くということが,昨日までありませんでした。どれぐらい歩けるのだろう,どれぐらいのスピードで歩くとどんなダメージがあるのだろうか,そんなことを測る,絶好のテストケースだと思って歩きました。

 結果にはたいへん満足しています。

 所要時間はまずまず,それよりも身体に,足に,ほとんどダメージなく歩けたことでほっとしました。一昨日できそうで心配だった足のマメも全くできませんでした。青いシャツのお大師様のペースがここでも生きたんだと思いますが,体力的にも全く問題ありませんでした。

「35㎞は,楽勝だな」

 この調子だったらいつまでも歩き続けそう,そんな気持ちにもなり,このあとの日和佐から牟岐までの約15㎞がずいぶん気楽になりました。

 

 23番「薬王寺」では,家族と自分にお守りを買いました。いつも,最後の札所で何らかのお守りを買うことにしています。

国道55号線 山河内を越えたところにあった接待小屋
国道55号線 山河内を越えたところにあった接待小屋

 

コンビニで,ゆうパック

 

 サンクスで必要のない荷物を送りました。翌日帰ることに決めていたので,できるだけ身軽にしておこうと思ったからです。

 送り返したものは,以下のものです。

 <四国全図,輪袈裟,数珠,霊場巡拝勤行次第,ロウソク,線香,ライター,納札,懐中電灯,レイン・ポンチョ,日焼け止めクリーム,手動携帯電話用充電器,歯磨き歯ブラシセット>

 ゆうパックで1100円。

 コンビニで段ボール箱を用意してもらったら,無駄に大きい箱でした。それで1100円にもなってしまったのですが,ここではケチケチしないことにしました。かわいらしい女の子に優しい声で「ごめんなさい,こんな大きな箱しかなくって」と言われて,「自分で小さくするから,こっちによこしな」とは言えなかったのです。

 そんなことより,後で大きな影響を被ったのは,レイン・ポンチョです。

 

国道55号線 寒葉坂 6年前は37℃でした。
国道55号線 寒葉坂 6年前は37℃でした。

 

あっという間の豪雨

 

 直前までそんな気配は微塵もありませんでした。だから迷うことなくレイン・ポンチョを送り返しました。国道は直射日光で極限まで熱せられ,わずかな日陰を探すのにたいへん苦労しました。屋根のある遍路休憩小屋に入ったときは,月並みですが天国でした。

 休憩小屋でいつものようにくつを脱いで,靴下を脱いで,水を飲んで,ピーナッツをほうばって,・・・心地よい休憩を満喫していました。と,

 コロ,コロ,コロ

 はじめは,隣の民家で子どもが遊んでいるのだと思いました。

突然の雷雨,どしゃ降り 雨宿りしました。
突然の雷雨,どしゃ降り 雨宿りしました。

 ゴロ,ゴロ,ゴロ,ゴロ

 遠雷? しばらくして,そうではないかと思いました。しかし,そんなはずはない,という気持ちもまだ半分ありました。天気が変わるなんて,それほど思いもしないことだったのです。

 ところが,遠雷が,本格的な雷鳴になるのにわずかな時間しかかかりませんでした。

 そして,雨。しかも,ポツリ,ポツリから,すぐに ザ―― になりました。

 それから,すぐにどしゃ降り,あっという間に豪雨になってしまいました。

 

 う~ん,レイン・ポンチョが・・・・・・。

 

身体より荷物

 

 20分ほど廃業になったレストランの軒先で雨宿りしました。でも,なかなか止まないので,意を決して土砂降りの中を歩くことにしました。

やけにハンサムなおじぞう様
やけにハンサムなおじぞう様

 身体はいくら濡れても平気,真夏の雨は涼しくて気持ちがいいぐらいです。心配なのは背負っている荷物,納経帳や撮影したデータを保存してあるSDカードがもっとも心配でした。荷物がぬれないように,ひとつひとつレジ袋に入れました。そしてリュックにはレインカバーを掛けました。これで万全のはずです。

 菅笠は豪雨にもかなり耐えられることが分かりました。顔にかからないので不快感がありません。白衣は濡れてもすぐ乾きますから,濡れるままにしておきます。

 やっかいなのは靴です。少々の雨だったらゴアテックス製の靴は中が濡れることはありません。しかし,降りが強くなるとズボンの裾から靴の中に,雨が伝わって入ってしまいます。こればっかりはゴアテックスでも防ぎようがありません。10分ぐらいで靴の中が滲みだし,15分で靴下は完全に水浸しになってしまいました。

 レイン・ポンチョも一度試してみたかったという思いはありますが,荷物や靴を守るということに限れば,レイン・ポンチョである必要性はないかもしれません。

 

牟岐町河内 度胸試しをする地元の中学生
牟岐町河内 度胸試しをする地元の中学生

 

全身濡れ鼠

 

 ずぶ濡れになりましたが,荷物は大丈夫でした。靴の中はぐしょぐしょ,歩くたびにクチュクチュ音を立てていました。しかし,小一時間ほどで雨はすっかりあがりました。

 靴下を替えたら気分が少しすっきりしましたが,靴の中が湿ってしまったのはもちろんどうしようもありません。

 川に渡された橋の上から地元の中学生が飛び降りていました。度胸試しでしょう,なかなか飛べない子もいました。最後まで見届けることはできませんでしたが,逡巡していたあの子はどうなったでしょうか。

JR牟岐線 牟岐駅付近
JR牟岐線 牟岐駅付近

 

牟岐駅前,民宿あづま

 

 こんにちは,といって入ったら誰もいませんでした。何回も声を出しましたが,全く反応がありません。カウンターに張り紙がしてあるのに気がつきました。

「買い物で外に出ています。すぐ帰ります。中で待っていてください」

 ところが1時間待ってもだれも戻ってきません。こうなると,「買い物」というのが疑わしくなります。事故や事件があったのではないか,このまま誰も来なかったらどうなるのか,誰かに訴えた方がいいのか,・・・等々。時間がたてばたつほど疑念や不安が沸いてきます。

 ここに泊めてもらえないということになったら,どうしたらいいのだろうか。いっそのこと牟岐駅からJRに乗って,小松島なり徳島なりの大きな街へ行ってしまった方がいいのではないか。

 分からない,情報を得る手段がない,ということがどんなにか不安で,どうしようもないことかということを思い知らされたような気がします。

 結局2時間後,やっと女将さんと旦那さんの2人が現れました。

「うちのやつが,調子が悪くて,となりの病院へ,いってたんですよ」

 女将さんの体調不良,どうやら過労だったようです。

「いっそがしくて,早く起きなくっちゃならんし,休みないし,・・・」

 女将さん,口だけは結構元気でした。