山道か街の中か
17番から小松島市の18番「恩山寺」へ行くルートには,地蔵院の方を通る山道か,徳島市繁華街を抜ける道かの2つのルートがあります。
鱗楼の女将さんは,
「距離は同じぐらい,山の方へ行く人が多いようです。山といってもたいした坂はありません」と教えてくれました。
17番の納経所の人は――なぜか,世田谷さんの言った若く美しい人ではありませんでした――
「街の方へ行く人が多いようです。迷ってもすぐ聞けますからね」
女将さんと反対のことを言います。
世田谷さんは,
「ぼくは街の方へ行きます」
どうも横浜さんも街へ行くようです。
私は,17番を出るときまで迷いましたが,結局街の方にしました。
人生どんなときにも選択を迫られますが,結局のところどちらが正解だったかなんてことは,永久に分かりません。
朝ならば,街にも日陰はある
アスファルト道路はひどく暑いけれど,街中にも意外に日蔭があることを発見しました。建物が歩道に陰を作るのです。中心部は高い建物が多いので,大きな陰ができます。歩道がすっぽり日陰に収まっていることも珍しくありませんでした。
ただ,それもやっぱり9時までです。それ以降は逃げ道はなくなります。
ショッピングセンター「キョーエイ」の室内ベンチは至福の世界でした。エアコンの中でアイスクリームを食べてしっかり体を冷やしました。もちろん,アイスクリームやお菓子を買わせていただきました。
国道55号線
徳島は結構山に入ることが多いのですが,この55号線からは室戸岬まで,おおむねこの国道一本という感じになります。「室戸岬まで○○㎞」という青い看板を今後何度も目にすることになるでしょう。
おへんろさん,こっち,こっち
踏切を渡ると,カン,カン,カンとシグナルが鳴り出しました。電車が来る,写真を撮ろう,と少し戻って,右からか来るか,左からかと,きょろきょろしていました。
「おへんろさん,こっち,こっち」
踏切の方へ行っちゃダメ,というような身振りで女性が近寄ってきます。
「国道は,あっちの,角を曲がって,ふたつめを右へ・・・。分かりますか?」
道に迷っているおへんろさんに一所懸命救いの手を述べてくれます。
私は,
「迷っているのではなく,電車の写真を撮りたかったのです」
と言えませんでした。私は電車と反対の方を向けさせられ,電車は私の背後を通り過ぎていきました。
「ありがとうございました。助かりました」
そういって私は国道の方へ足を進めましたが,あれもたぶんお大師様だったのでしょう。
昼食,基本はなし
今回の遍路ではこの日1回だけでした,食堂と類するところで昼食を食べたのは。かけうどんとナスの揚げ物を食べて294円でした。ケチっているわけではありません。昼食にあまり時間をとられたくないというのが第一義です。おにぎりやピーナッツ,飴などを歩きながらちびちび食べる習慣になってしまったら,落ち着いて食べなくても平気になってしまいました。
今回は,食欲を満たすためというより,暑さから避難するために食堂に入りました。真昼の国道は日差しを避けるところがどこにもありません。
横浜さん
横浜さんはこの後,19番「立江寺」まで打って,夜行バスで帰るそうです。この18番「恩山寺」での出会いが最後になりました。
「立江寺でゆっくりしてますから,また会いましょう」といって先に行きましたが,私が恩山寺でそれ以上にゆっくりしていたので,先に立ってしまったのでしょう。
17番「井戸寺」で隣に腰掛けてたばこを吸い出してから,いきなり
「ごめんなさい,ごめんなさい。たばこ,吸いません?」
と言って後ろへさっと飛び退きました。すごく恐縮されて,かえってこちらが申し訳ないぐらいでした。
「以前は,私もヘビースモーカーでした。たばこの煙なんて,なんの問題もありませんよ」
事実,私は以前1日40本吸っていました。
いろいろなおへんろさん
バスや電車など,公共の交通機関を使って回るおへんろさん,観光バスやジャンボタクシーの団体さん,自転車で回るサイクリニスト,大型バイクで回る人,原付バイクもスーパーカブも見ました。
バイクや自転車のおへんろさんはたいていの人が袖無しの白衣を着ています。さっと追い越していくその背中に,南無阿弥陀仏,なかなか格好いいものです。そしてなぜかほとんどのライダーは,自転車やバイクのどこかに菅笠をくくりつけています。実用性はゼロに等しいと思われますが,捨てきれないようです。
なかでも一番びっくりしたのは,大型バイクのライダーがヘルメットの上に菅笠を装着してすっ飛ばしていったときです。猛スピードで走り去っていくのに,がたついていませんでした。どうやってくくりつけているのか不思議でした。
恩山寺で出合った自転車へんろさんは2人連れでした。たくさんの荷物を積み込んで,野宿をしながら回っているようです。恩山寺の坂道は相当きつかったようで,顔を真っ赤にしていました。
竹藪での敵は蚊です
私の自宅の回りでは竹藪が少なくなりました。小さいころの家は前も左隣も竹藪でした。成長するにしたがって,竹藪はみんな住宅地に変わっていきました。
恩山寺のウラの竹藪の回りも住宅が迫っています。そのうちこの藪,「義経ドリームロード」もなくなってしまうのでしょうか。
昔懐かしい竹藪ですが,やっぱり昔懐かしいヤブ蚊もいっぱいいました。一度発見されるといつまでもしつこくついてきます。涼しい竹藪のなかでゆっくり,なんていうのは絶対にできません。
そんなところにかわいいお地蔵さまがおられました。きれいな花も生けてあります。どうしてこんなところにと思う間もなく,ヤブ蚊に追い立てられて竹藪を抜けました。
いろいろな思い出はありますが,竹藪はあまり落ちつけるところではありません。
立江寺の宿坊
19番「立江寺」は大きなお寺です。宿坊も大きく,何百人も泊まれそうでした。「洗濯場はどちらですか」と聞いたら,こちらですと案内され,あっちへ曲がりこっち曲がり,ずっとまっすぐ進み,また曲がりでずいぶん遠くへ連れて行かれました。
「戻れないかもしれません」
冗談でなくそう思ったほどです。
そんな広い宿坊にその日泊まったのは私と夫婦のおへんろさんの3人だけ,夕食を一緒にいただきました。
ご夫婦は広島県の尾道から来て,二人で歩いておられました。
「尾道って岡山だって思われる方が多いんですけど,広島なんですよ」
焼山寺は歩くのは諦めてバスを使ったそうです。奥様の方がどちらかといえば積極的で,旦那様が寂しいのでついてきた,そんな感じの,仲のいいご夫婦でした。
それでも,
「やっぱり二人で歩くのは難しい」
と,おっしゃっていました。二人の歩くペースや体力が絶対に違うので,多くの人たちが口論になってしまうようです。